1. 出来ないことを出来るという教え

稽古の現場とかでよく耳にする言葉、

これ、実は出来そうで出来ないことをお教えしている一例だと私は思っています。

相手の話してくる内容が分かっているのに新鮮に聞けるはずがない

のです。ですが、この「もっと相手の台詞を聞きなさい」という本質を理解すると、こういうことなのです。

相手がこのように言ってくるのが分かるんだったら、『こういう風に聞く』と聞き方を決めてきなさい。

ということなのです。つまり聞き方も用意しろということなのです。そうすれば、前から観た時に聞いているように見えるわけですから、今後そこではこの「もっと相手の台詞を聞きなさい」ということを指摘されることはないでしょう。

つまり、「もっと相手の台詞を聞きなさい」と言って、本当に聞く努力をしてはいけないのです。

その方法では絶対に新鮮に聞けません。それよりも「聞いているように見える表現になさい!」ということなのです。

けれども、この理屈を分かって「もっと相手の台詞を聞きなさい」とお教えしている人は意外に少ないのです。これはこういう言い方も出来ます。

台詞を言う人は「言い方」を決めてくるわけですから聞く側は「聞き方」を決めて良いんです

だから、あらかじめ段取りがなければ台詞を聞いているという風に見える道筋にはなかなかいけないのですね。ただ、ここでこう思われる方もいるかもしれませんね。

と。でも、これはやってみたら分かります。……というかもう分かっているのです。

これはどういうことかというと、相手の言い方が変わったということを聞けているわけですよね。だから聞けているんです。

こういう風に、自分で聞き方を決めると基準が出来て、相手のちょっとした変化にも聞き分けることが出来るようになるのです。つまり篩(ふるい)の役割を果たすようになり、自動的に他人の話を聞けるようになるのです。不思議なお話でしょ(笑) 

こうして台詞は聞けるようになるのです。そして驚くべきことに、こうして自然に台詞が聞けるようになると、相手の台詞の言い方に変化が出来ても自然に対応できるように人間は出来ているのですよ。

ですので、自然に聞けるように自分を持っていくところまでが演技レベルで、後の出力は誰もが潜在的に持っている対応能力となるわけなのです。

ですので、演技は潜在能力を引き出す技術とも言えますね。

この話の補足をすると、聞き方を決めて何回も練習をすると、段々と相手の台詞が本当にストンと入ってくるようになるのです。これは、身体動作から感情を誘発させるという演技術ですが、聞き方を決めて身体動作をしっかりと入れれば、反復練習していくうちにやがて自然と聞いている感覚が身体から教えてもらえるというものがあるのです。

でも、これはあまり知られていない技術ですので、そこを知らない方からすればかなり胡散臭く感じるかもしれません。

これが出来る役者は本来であるならば素晴らしい輝きを放つはずでありますが、今ではそれが少し浮いてしまう存在にみえ、そこが何とも今の演劇界の寂しさになっているように思います。

そういった高みに合わせられない現状は、それらの技術を知らない人が多数派になってしまったということ。これが大きな要因の一つだと思います。

他にも、色々ありますが挙げればは話がつきませんので、今回はこの一点だけのお話とさせていただきます。

本質というのは、真理とはまた違って、何が真実かは分からないものです。

しかしながら、上記のように経験からくる知識で説明できればその本質を垣間見た気にはなります。そして、その本質を自分なりに突き詰めて考えていくうちに、演技の本質を見極めたうえでお教えしている人ってどれくらいいるのかな?と思うようになったのです。

もしかしたら、演技の本質をよく分かってないで教えている人が実は多いのではないかなと…

分かっていないというよりも…最初からそういうところに意識がないのでその重要性に気がついていないのかもしれない……

ですので次のページで、演技の本質を見極めることがなぜ大切かという話をさせて頂きます。

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