世の中はあなたをコントロールしようとする人があまりに多いことを頭に入れいた方が良いです

。たとえば、みんなと合わせることが出来なければ、「団体行動の出来ない人」というレッテルを貼り、あなたに悔い改めさせるか、敬遠し排斥行動を取るか・・・合わせられない人にとってとてもつらい経験を強いられることが少なからずあるかと思います。

勿論、団体行動はとても大事で、大きな力を生むためには、協調性がとても重要であることは確かです。

しかし、この考えには条件があり、それは論語にある通り、

子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

ということが求められるのではないでしょうか。

つまり、一人一人は違えど歩みを深め協調することというのが団体行動の理想だと思うのです。

しかしながら、先ほども申し上げましたが、世の中はコントロールしようとする人が本当に多く、そのコントロールしている人が君子なのか小人なのかで、ストレスの大小が決まってします訳です。

仮に、小人である人があなたをコントロールしようとしているならば、あなたはその人に強いストレスを感じ、人格否定されるような感覚を抱くのかもしれないのです。

酷い場合はその人の言葉がトラウマになり、「自分はダメなんだ」という負の感情に押しやられることだってあるのです。

君子の人であるならば、人はそれぞれ違うことをよく理解しているので、仮にあなたをコントロールしたいと思っていても、力技であなたを矯正した考え方に導くのではなく、あなたが動きやすいようにする配慮があったりするので、ストレスは少ないのですね。

そういう方は、人の動かし方がとても上手なので、「キツネにつままれたような感覚」になるので、コントロールされてもあまり気分を害することもないかと思います。

というように、私は、要求してくるものに対して常に疑問を持つことはとても重要なことだと思っていて、その指針となるのが、先ほどの論語の言葉ではないかと思っているのであります。

この指針で物事を考えると、コントロールしたいがために、私を否定してかかっているというようなことは直ぐに見破ることが出来るので、自己否定に陥ることは先ずないということになると考えてます。

さらに言うと、反省を促すようなことを強いる方も世の中にはおられます。このことも先ほどの指針で、反省すべきものかどうかが直ぐに分かります。

他にも同調圧力であったり、常識であったりというのは、あなたをコントロールする言葉にもなりかねないので注意が必要なのです。

特に「そういうのは常識だぞ!」とか「人として、どうかと思う」とかそういう言葉は一見、すんなり聞き入れてしまいそうになる言葉ですが、そうやって、自分を否定しているという言葉でもあるのだということをよく理解しておいた方が良いでしょう。

話は随分逸れましたが、それだけ世の中は個性を出すことが難しい環境になっているということです。

これは私たち演劇人にとって由々しきことだと思います。

今から話す私の内容は、到底受け入れられるものではないとお感じになられる方も大勢いるかもしれませんが、それでも、演劇をするのであれば、俳優をするのであれば、絶対に大切にして欲しいのは「自分という個性」なのです。

これがなければ、輝きはしません。夜空の星もそうです。同じ輝きの持つ星よりも、一際違った輝きを放っている星に目を奪われます。名前も覚えられますよね。

そうなんです。私は私なんだという輝きがなければダメなのです。

でも、今まで、色々な抑圧を受けてしまって、自分自身の出し方がよく分からなくなっている人がいるという……私は、こういう世の中はやはり良くないと思うのです。

私は世の中を憂いているわけではなく、そういう世の中があるならば、自分の周りだけでもそういう環境には決してしないという決意で臨みたいのです。

そうすると、自分自身の意見もどんどんと言えて、やがて本来の自分というのが現れてくるようになる。そこから初めて舞台で勝負できるものだと思うのです。

自分をさらけ出す

どう思われたって良いじゃない。自分は自分だと言える人を育てたいのです。

ですから、もしもあなたを否定する人現れて、上記の指針で明らかにおかしいなと思えば、間違いなくその人の言うことはあなたをコントロールしたいだけであって、耳を貸さない方が良いと進言するでしょう。

世の中のせいにすると逃げ癖がついて、自分の成長にはつながらないという人もいます。

しかし、それも私は固定観念であると断じます。世のなかのせいにしても良いんです。

ただ、そこから目を背けるのではなく、その人の意見が小さくなるように自分が大きくなることを目指すのです。つまり、自分をコントロールしようとする人はあなたが小さい人間であればあるほど、コントロールしたいのですが、あなたが大きくなればコントロールできないことを悟ることになるでしょう。そこを目指すのです。

自分を否定して、大きくなることは難しい。

自分は物凄い人間なんだという気概で臨むからこそ、もの凄い人間になるのだと思います。

ここで必要なのは、言霊です。と言ってもここで言うこと言霊は念仏のように唱えるものではなく、日ごろの言葉から自分のイメージを自然に変えていくということです。

「今日はこれだけできた。上出来上出来!」……これを言うだけでも、自己肯定感は上がります。ただ、私は自己肯定感だけを上げるのではまだ物足りないと思っていて、そこには、まず自分が行動したこと一つひとつに感謝の念がいるのではないかとも思うのです。

「これをやって当然!」と思うよりも「こんな状況下で、タスクをこなした。凄い!やるな~自分」というくらいにバカバカしくてもねぎらいの言葉を出すことも必要だと思います。

これは自転車の運転と同じで、最初は操作を意識してハンドルを持ったりしますが、慣れてくると、見たところに自然に行くのと同じことで、意識をしっかりと向けるためにこういう言葉がとても重要になってくるのです。

このように自分をコントロールすることが出来るようになれば、困難があっても乗り越える力は自然と備わってくるものです。自分の中で、『なんとかなる』という感じでいれば、少々のことでは動じない。寧ろ、私は高レベルになるために今試されていのかもしれないと感じるようになるのではないでしょうか。

つまりどんなことがあっても、自分は凄い。

と感じることが出来るかにかかってきてるように思うのです。このことを感じることが道であり、その道を進むためには、自己肯定感だけでなく自己評価を上げる必要がどうしてもあると思います。

人一人一人の個性を伸ばす。

これはとても大変な取り組みのように思えるかもしれませんが、私は、人の個性と個性が調和を図り、丁度良いバランスの関係性が作れることこそが大きなエネルギーを生むものだと信じています。

ともすれば生意気な人間ばかりが育っているようにも見えますが、それでも、一人ひとりが「俺は、私は凄いんだ」と思える人と沢山出会えるように、その環境を作っていきたいのです。

最初は自分の言葉だけでは信憑性はないのかもしれまいので、周りが「大丈夫!」「それでいい!」「もっと自分を出そう」と口を酸っぱく言い続けます。

そうすることで、やがて自分を出すことが自然になってくる。そういう取り組みをして、強いエネルギーを出す人と出会いたい。それが私の夢でもあるから。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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