日々の鍛錬は必要です。

これは当たり前のことですし、誰もが大切だということは分かってます。

しかし、大切だと分かっていても日々の鍛錬を積み重ねることは本当に難しいことですよね。

私なんかは三日坊主で、何一つ続いた試しのない人間でありましたが、このお芝居だけはどうやら人よりも続けていけているように思います。

それは単に環境が整っているからというだけのものですが、これが実は続ける上で最も効果的な秘策なのではないかなと思うのです。

でもどうやってその整った環境に身を置くのかという問題ですが、今回はこのちょっと変わったお話をさせていただきます。

私はあまり正規で出演依頼が来たことはありません。

困っているので出てくれないかという緊急登板の俳優なのです。

この緊急登板は本当に大変でして、通常では考えられない、イレギュラーな対応をしなければいけないことが殆どなのです。

例えば、10日前に主役が降りたので代わりに出てくれないかとか言うことで、3回くらいの稽古で2時間半の出ずっぱりの役をお引き受けしたこともありました。

当然セリフも入ってないので舞台袖からプロンプを飛ばしてもらい演じた時は自分が何をしているのかさえ、分からないまま舞台に立っている感じでした。

しかし、これは少しおかしなことを言ってるなとお感じになられるかもしれませんが、意識している自分は状況がよく分からないまま舞台に立っているようだけれども、無意識で自分はよく状況を把握して舞台に立っているような感じしたのですね。

何か誰かに自分が動かされているような感覚なのです。

自分でどうやったかは全く分からないが、いつの間にかゴールにたどり着いてる。

といった具合でしょうか。

気がつけば、カーテンコールで劇場全体から万雷の拍手を受け、今までで一番良かったというお客様もいたくらいなのです。

袖に引っ込むと泣き出す女優さんもいました。

こんな不思議なことが起きたのですね。

自分の力ではない強大な力がその時、働いていたのです。

これは当に他力本願なのです。

他力は阿弥陀如来のお力のこと。

願いをかけることにより他力がお働きになったということです。

芸事ではこのことがよく言われており、芝居の神様としてよくお話が出てきます。私もそういうお話を聞いてはいましたが、まさか自分が経験することとは思いもよりませんでした。

でもどうして、私がそのような有難い経験をさせていただけなのか……?

これがとっても謎なのです。

別に特段、人よりも努力したという記憶はないですし、力を抜く時はとことん抜ける性格なので、苦しい思いをしていた訳ではありませんでした。

余程苦しかったのは、ゲネ(リハーサル)の時に、セリフが出てこなくてプロンプも聞こえなくて、何度か芝居が中断してしまったことくらいです(笑)

楽屋に帰って『無理かもしれない』とうなだれていたことは未だに覚えています。

ゲネのプロンプターは新人の女優さん二人で、上下両方から飛ばしていただきましたが、全くと言って良いほど聞こえない。

間口10間(18メートル)ある劇場ということもあるので、セリフをもらいに袖近くまでいったのですが、それでも全く聞こえないのです。

焦って聞き直すものですから、新人の女優さんもかなりのプレッシャーがあったのでしょう。

かなり早口になって、伝えよう伝えようと必死になっているのだけは分かるんですね。

ですが、おまりに聞こえないために、私の集中力が切れてしまって、もう何をしていいものなのか途方に暮れいていたのです。

後3時間で幕が上がる。

ですが、ゲネでさえ満足に出来ていない。こんな経験は今までにしたことがない。逃げたい。ゲネを終えた後の楽屋ではもう台本を見る勇気さえ失っていました。

その時です。

私をよく知る先輩女優さんが楽屋に訪れてきて奇跡が起きました。

私、さいとうくんのプロンプしようか?

私は、もう藁にもすがる思いでお願いしました。

後で聞くと、演出の方が急きょ呼んでくれたそうなんです。

「私、そのために来たんよ。下手の方が良い?それとも上手?」私は「下手でお願い出来ますでしょうか」とお願いした。

大先輩の女優さんにプロンプをお願いできるとは、なんと夢のようなことが起きていると感じました。

その瞬間、ググっとやる気が出て、舞台に立つことが出来たのです。

本番は、プロンプがよく聞こえるのです。

小さい声ですが、安心できる声で飛んでくるのです。私はあまりに安心できたので本番中に「プロンプはこう飛ばしたら良いんや~」って聞き惚れるくらいのものでした。

これだけ冷静に芝居が出来ればもうこっちのもの。

目の前の事をコツコツと熟すことに専念出来ました。

そして、周りの共演者にも当然変化がありました。

それは「さいとうさんが、どんなセリフを言い放つか分からないので、どんなセリフにも対応する!」といったようにセリフを本気で聞けている状態になっていたのですね。

つまりお客様と同じタイミングて聞くことが出来ているので、その反応も完全にお客様と息が合い、心地の良いタイミングになれたのだと思います。

劇場は笑いに包まれて、俳優陣はさらに調子が出たのです。

お客様と共に芝居を育むということが出来たのではないかと感じた舞台でした。

客席から拍手だけではなく「良かったよー‼」という声も飛び込んできて、思わずそれで共演者の方々も泣いてしまったのだと思います。

こういう奇跡が重なって出来た芝居は、果たして偶然だったのだろうか?

と思うのです。

私は、必然であると信じたいのです。

では何を持って必然だと思えるのかということですが、それは、こういうことです。

私はもう400回500回舞台に立ったことがありますが、一度も途中で止まったことが無いんです。

物理的に止まったことは二度ありました。

昔の訪中公演の時に、停電で強制的に止まったということ。学校公演で、あまりに生徒が暴れて芝居どころではない状態になり、私の師匠が途中で芝居を停めて説教したこと(笑)

それ以外は、途中で止まることは一度もなかったのです。

私はこれこそが奇跡なのではないかと思っていまして、そんな奇跡を私たちは毎回やり遂げているんだという自負が心の中に強くあり、その奇跡をそのまた奇跡を呼び込んでいるのではないかなと思う訳なのです。

ですから、この時も奇跡が起きたのですが、どこか「きっと、なんとかなる」という念が自分の中にあったのだと思うのです。

そうでなければ、あのゲネが終わった後に私の性格であれば演出に「もう無理かもしれない。」と正直に言っていたに違いないのですね。

普通に考えるとプロンプターが交代するだけで、安心するわけもないはずなのに、その時何故か「出来るような気がする」って思えたのは、私にとっては奇跡以外の何物でもないのです。

そこで、全てが好転に切り替わったと言っても良いくらいです。

気持ちの持ちようが全てで、眼前の景色がガラッと変わるとは当にこのことだったのかもしれません。

そういう私の力ではないのにやり遂げられたという貴重な経験をさせていただいたのです。

私は、ここでとても言いたいことがありまして、それは、

眼前の景色がガラっと変わる

ということなのです。

私たちは、いつもお芝居の成功を夢見て、日々練習に励んでいる事と思います。

そしてその夢はどういうものかというと、漠然ではあったとしても、必ずや成功をしているビジョンなのです。

私は、そのビジョンが曇っていれば曇っているほど、起きる奇跡は偶然に感じるのではないかと思えるのです。もしも、その成功のビジョンが明確であるならば、起きる奇跡は「必然だ」と感じるのではないかと思うのです。

必然というよりも、自分を何か自分の理解しえない力がここに導いて下さっていると感じるのです。

私は、その成功のビジョンが明確だったのかもしれないなと思っています。

日々練習する時、この練習はこのために行っているという紐付けがいつも出来ている。

自分のベストではないかもしれないけれど、自分の最善で動けて、今の自分の出来る限りのことが出来たと言い聞かせて、常に昨日の自分と比較をする。

こういう出来たところに目を向けることが出来たからこそ、成功のビジョンと紐づくことが常に出来ていたのだと思うのです。

「私はそこに向かっている」そういう根拠のないものをいつも感じていました。

なぜ根拠がなくても大丈夫なのか……?

それはとても簡単な理由です。

練習していく内に、自分の考えは日々進化していくからです。

やっていけば、発見することは山ほどあって、今の自分のアイデアでは絶対に成功しないということを知っているからです。

ですから、日々の自分の進化を自分が認めてあげることが何より重要なのです。

自分の日々の進化を重要視すれば、自分のやってきたことに重要性を感じます。そのやってきた重みが、説得力となって、自信を深めるのです。

これは絶対に間違いがありません。

どれだけ、周りから出来ていないと言われていても、「いや!私は、成果をしっかりと出し続けている!」と信じれば、周りから出来ていないと言われている「言葉の真理」が初めて理解できるのです。

嘘みたいな話ですが、自分を信じることが出来るようになれば、周りの意見の本当の意味に気がつくことが出来るようになるのです。

ですから、自分を信じる作業に没頭することが、お芝居の練習において何よりも肝心なのです。

その練習したものを稽古でご披露する。

「出し切った!今日の自分ではもうこれ以上は出ない!」そういうふうに日々闘っている人が真理に近づくのだと思います。

そしてその真理に近づいているからこそ、奇跡が起きて他力がお働きになる。

そう思えるのです。

なんだかとても信じられないような話ですよね。分かります。

そう思わなければやってられないってわけでもないのですが、そう思うことで、毎回、奇跡が起きることを確認しているような感覚であります。

でなければ、私のような人間が主演を務めることなどは有り得ません(笑)

皆様のお陰で舞台に立たせていただいている。本当にそう感じております。

最後に、

私たちは自然を理解していますでしょうか?

理解できていませんよね。

それと同じように、私たちも本当は自然の流れで生きないと上手くいかないようになっていると思うのです。

自然の流れに乗れば、上手くいくことなのですが、上手くいったら奇跡だと感じているだけなのかもしれません。

本当は奇跡でも何でもなく、

ただ、私たちが自然を理解していないだけ…

そう感じるのです。

自然の流れで取り組む事。これが芸事を行う基本だと思います。

そしてその基本のまず第一歩が自分の成功を思い描くということではないでしょうか。

成功を思い描くことによって、歩みを止めない日々の鍛錬が生まれ、やがて成功の種を発見し、それを大切に育む。

強く照り付けた太陽。暴風や雷雨もあるでしょう。

この雷は、地上に落ちて土に栄養をもたらすこともある。

温室育ちでは得られない強くたくましくなる大変な栄養素を獲得できるのです。

その過酷な環境の中でも、自分の思い方一つで、理想郷に変わる。

それは、常に自分が最善を尽くしていると考えれば、その環境が理想に変わるのです。

良い環境を与えらられたとしても、その人自身の思い方一つで順応できなかったりもする。

実はそれが問題で、その解決方法も、常に成功を思い描き、それに近づいているという根拠のないものを感じ取れるかにかかるのです。

先ほども申し上げましたが、今考えているアイデアで成功することはありません。

歩んでいく内に見つけるものなのです。

そして見つけた時にこう思うのです。

こういうふうに見つけられたのは、自分が思いっきり成長しているからだと

成長しているから、成功に近づいている。

いや、もうそう思うこと自体が成功だから、思い描く成功のビジョンに行くのは必然だと思うことが自然の理なのかもしれませんね。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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