演劇には所作があり、昔からの技術がたくさんあります。
それは、演技的な型も勿論ありますが、それよりも、大切なのことは、
舞台に立っている存在意義
を表わす技術であることが殆どです。
お芝居を始めたての方々は、このあたりは分からなくて当然なのですが、演劇を長年されてる方の中でもこのことが分かっていない方も多くお見受けします。
それが今の日本の演劇を物語っているように思えて、残念なことでもあるのです。
厳しい意見になって誠に恐縮ですが、話を続けると、
演技というのは技術であって、その技術というのは昔からお教え伝えられてきたものが殆どです。
演劇の歴史の中で、培われた基礎があるのにもかかわらず、それをしっかりと学べない現状が今はやはりあるのではないかと思うのです。
この技術を知らずして舞台に上がるということは、俳優業をどこか軽く見ているようにさえ思えます。
演技は台本上にある感情を表現すれば良い
多くの若者の演技を観ているとやはりそう感じてしまうのは、私だけではないはずです。
若いうちから舞台に立つことはとても良いことです。しかし、基礎を知らずに舞台に立って経験値を積むということは必ずしも良いことのようには思えません。
私は、とても古い考え方のように聞こえるかもしれませんが、やはり下積みが必要で、その経験から徐々に幅を増やすことの方がとても大切なことだと思うのです。
何故なら、下積みの時の自分の出番は、せいぜい一回か二回。セリフも少ないからです。
この時に、二つ三つのセリフをどのようにして表現するか、セリフの大切さがとてもよく分かる経験をするのですね。
全然大した意味合いの持たないセリフであっても、自分の舞台における存在意義がこの少ない出番であるがゆえに、しっかりと考えて作り込むことをするからです。
この存在意義から考えるためには、登場人物のバックグラウンドであったり、自分の役割をしっかりと認識する必要があります。
台本には書いていないけれども、こういう生い立ちがあるからとか、こういう風習があるとか、こういう環境であるとか、こういう因果関係があるとか、様々な状況レイヤーが生まれるのです。
そのレイヤーを重ねていくと、台本には書いていないような人情が見えてきて、その人情から生まれる感情というのも生まれるのです。
最初はウェイトの軽い役の方がそういう道理が見えてきやすいのですね。
ですが、下積みの経験がなく、いきなり中心人物で、稽古期間も短かったり、基礎もままならない状態ですと、見えていないことだらけで臨むことすら難しくなるのではないでしょうか。
その時、自分のセリフでさえもしっかりと考えられなくなり、
「次の人のセリフがあるのが分かっているかのようなセリフの話し方」
「言い始めから、最後まで自分の言い方が分かっているような話し方」
「相手が何を言うかが完璧に分かっているかのような、セリフの返し方」
というリアリティーとは程遠いセリフ回しになってしまう場合が殆どなのです。
勿論、相手のセリフも自分のセリフももう決められていることですから分かっているのは当然です。
ですが、分かっていても、「今初めてこのやり取りをした」「次に私が何を言うか分からない」。或いは、「相手の動向を見て言い方を都度変える」といった、一つひとつセリフを吟味して考えることが求められるのです。
しかし、上記のようなセリフ回しをお見受けすると、セリフが多すぎて、一つひとつ丁寧には出来ていない状態になっているのではないかと思うのです。
一つひとつのセリフを考えてセリフを話さないといけないですかという意識の低い「演者」も過去にはいました。
もしその言葉を下積みを経験した「俳優」が聞いたらどう思うことでしょう。
こういう人には、重要な役についてもらいたくないのが人情ですよね。
役に対する姿勢は、セリフ表現一つをとっても、こういうことが露呈するのです。
セリフが二つ三つしかないところから始めた人は、全てのセリフやト書きに対して戦略を考えるのは当たり前のようになっています。それだけ有難いことだからと自覚しているからです。勿論ここで言うセリフは自分のセリフだけではありません。
そんなのは三か月や半年で、読み込めるわけがないじゃない
そう感じてしまう人もいるでしょう。
ですが、それをやってのけるのが俳優の技術なのです。
しかしながら、斯く言う私も、それが出来ているかと言われれば、そんなことはありません。全くでございます。
未だに盲点だらけで、作品の何たるかを知ることには至らないこともまだまだ痛感しているところでございます。
そのために今でも勉強会なるものを開いて、台本を読む技術も日々磨いている次第でございます。
俳優は、筋書きを知った上で、その世界に生きる仕事をします。
展開をしている以上、盲点が出来るのは宿命なのです。
人間は知れば知るほど、自分の都合の良いように解釈するものです。ですから、作品の事実を誤認識することは当たり前のように起きてしまうのです。
その事実を捻じ曲げないようにする方法が、「台本を読む技術」なのです。
この台本を読む技術を使って、先ほどのようなおかしな台詞回しを限りなく修正するのです。
俳優業は誰にでもできるものではありません。
とても崇高な職業だと思っております。
ですから、このようなことを踏まえて技術を身につけることをもっと意識して演劇に取り組んでいただける若者が増えればと切に願います。
偉そうなことを申し上げて大変申し訳ございませんでした。
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。