2. 本質からズレているから面白くなくなる

演技の本質をよく理解していないと分かるのは稽古の進め方にも現れると私は思っています。

これはそんなに難しいことを言っている訳ではありません。演技の本質を理解していれば、稽古の環境はとっても重要だからです。簡単に言いますと、稽古は演技者のパフォーマンスが最高に出せる環境が望ましいので、居心地の良い環境であった方が良いのです。と言っても、ソファに寛いでという居心地の良さではありません(笑) 

演技者が稽古に生きている意味を最大限に発揮させられる環境かどうかです。よく稽古場の緊張感が足りないと良い稽古にならないと言いますが、私はこの意見とは少し違って、勿論緊張感があれば良いのですが、

但し、心地良い緊張感に限る

ということを声を大にして言いたいのです(笑)

俳優を委縮させた緊張感を作るのは少し視野の狭い考え方で、大きな大舞台やハプニングにも対応できる強靭な精神力にとお考えになる方もおられるかもしれませんが、実はそういったものは、メンタルリハーサルでも十分可能な範疇ですので、わざわざ稽古でそのリハーサルをしなくても良いのです。

それと万が一に備えるという言葉は、大事な話と捉える人も多いですが、お芝居やスポーツの試合などの大事な勝負事をする際には、寧ろこの考えは危険で、自分の心の中に守りという隙を与えてはいけないのです。

悪い方へ思えば、見た方へ向かう、または意識した方へ行くという人間の特性があるからです。上手く自分を動かしたいのであれば、メンタルリハーサルで良いイメージだけを使い、そう行くんだと信じることが重要なのですよ。

話は少し逸れましたが、緊張感は良いものに限ることが最も大切なお芝居をする上での環境なのです。それが作られていれば良い稽古だと言えます。もう少し踏み込んで言うと、

演技者は見られたい

のですよね。だから、あなたのことを他の役者スタッフが全員見ていますよという空気を作れば、そのニーズは直ぐに応えられるのです。

ここに、悪い緊張感を出してしまうと、あの空気でするのが嫌だなとなり「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」が増えるのです。当然ですが、こうなると演技者はやらされているとなるので、稽古が面白くありません。しかし、これは昔であれば、

と、お叱りになられる演出家もいるでしょう。ただ、そういう風にして俳優を委縮させている演出家も良い仕事をしていると言えますでしょうか? ということですよね。

最大限に良いパフォーマンスを出していただくためには、やはり演技者に気持ちよく舞台に立っていただくことが本質的に捉えて合っていると言えます。

ですので、ここが昔ながらであったり、俳優と演出分業的な考えではなく、お互いが相乗効果を出し合って作ることが望ましいと私は考えております。

しかし、そうなると演技者贔屓になってそれがもとでわるくなることもあるのでは?と思われる方もおられるかもしれませんね。そこでこう言葉を付け加えます。

みんなが心地良い稽古になれば良い

演出のように見る側も心地よくなれば良いのです。つまり面白くなければ、見るに値しないわけですので、寝ても良いですし、途中で稽古を辞めても良いのです(笑)

ここで重要なのは、お互いがお互いの仕事をリスペクト出来ているかという話です。演技者は自分の温めてきたものを披露する楽しみがあり、演出はそれをより良い魅せ方として総合的な作品意図に仕上げる。

その本質的なことが出来ていなければ、演じる側も見る側も面白くないに決まっているのです。その本質的な部分を生かすためには、演技者は稽古時に常にこうしてみたいああしてみたいとチャレンジする心があってそれをお見せして楽しませてあげたいとなり、演出側はそれを受けて、こうしたらもっといい味が出るのではないか、ああしたら良いやりやすい環境が作れてより相乗効果が出てるのではないかと、お互いがワクワクする稽古になることが良いのではないでしょうか。

そういう稽古が作れるようになるためには、稽古での頑張りよりも、むしろ日々の心の作り方のほうが、よほど重要なのです。

簡単に言うと、稽古がつまらないなと思っているのならば、本質からズレているということです。

その本質がずれているのにそこを直さずに頑張って頑張って作り上げるとどうなるかというと、本質からズレた作品はおかしなことがおかしいと見えなくなっているからかなり強引な見せ方になり、結果お客様にもその強引な意図に引きずられてしまい、お見せする作品とは成らなくなってしまうのです。

一方、面白いと思って作っているとどうなるかというと、作品の箇所箇所でこだわりが出来るようになり、そのこだわりから、今まで見えていなかった作品の盲点が見えるようになったりするのです。

こういう疑問がたくさん練習で出てくるようになるのです。こうなれば、「ほんとだ!」という発見になり、楽しみがまた増えるのです。やらなければいけないと考える稽古は、こういう発見は山ほどあると考えてそれを見つけなきゃとmust になりますが、やりたいと考える稽古は、こういう発見があればあるほど、それがやる気になってもっともっとwant to になるわけです。

このようになれば、気がついた時に後ろを振り返れば、結構色んなことに気がつけたなと充実感も増すことでしょう。

つまり、本質からズレると無理をすることになり、無理をすることによっておかしなことがおかしくないように見えて麻痺してしまって、その麻痺してしまったおかしなものをお客様にお見せしてしまう怖れがあるのだということを理解する必要があるのです。

このように本質から随分ずれてしまうと、気がついた時には、取り返すのが大変だったりしますので、自分の行動に責任を持つのであれば、この本質をまず見極めることは本当に大事なことだと思います。

こんなはずじゃなかったとならないようにするためにも常に自分軸で本質を見極める。人から言われたことを鵜呑みにしないことです。

本質を見極めるためには自分の感覚が大事です。

物事を疑ってかかることも良くはありませんが、自分の責任で動くのであれば、それを信じるか信じないかは自分の問題です。

世の中は、とかく色々な方法で人をコントロールさせようとしています。

自分で本質を見極めるということには正解はありません。飽くまでも自分の見極めで良いのです。ただ、その見極めが多くの人に共感を与えているものであればより真理に近づいているのかもしれませんね。

演技の本質は自分がどうありたいかだけなのです。

そのどうありたいかを心の中で常に燃やし続けて、自分のやることを全て「したい」に自分の常識を常識を変えるのです。言霊でもアファメーションでもなんでも良いのです。鏡を見た時にその奥にいる自分を常に見続けられているかだけなのです。

私の場合は、芝居が終わったカーテンコールをいつも思い浮かべています。万雷の拍手を今も感じるほどの臨場感で心に刻み込んでいます。これが舞台に上がる私の意味なのです。

そこから自分を逆算すれば演技者として自分がどうあることが望ましいか、段々とやりながら見えてくるものだと思っています。海外で公演すると日本とは違ってカーテンコールは素晴らしいものがあります。私

の場合はそれを経験できたので、強烈な感覚的に捉えられることが出来ていますが、それは想像力で何とでもなりますので、自分でない環境であっても、自分がそこに居たと錯覚するぐらいにイメージにすれば、身体にジーンとくるような感覚がやがて芽生えてくるはずです。

そういう風に今の自分の気分を最高に持ってこさせることが、自分のパフォーマンスを最高に上げる秘訣なのです。これは何も演劇だけに限った話ではないのだと思います。

夢を叶えるために必要なこと。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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