私が思う「演技を誤解している」と感じるのは当にこれです。こういう風に演技をしている俳優を見ると、演技を誤解していると率直に感じます。

勿論、舞台上での立ち位置や、動き方だけでも違和感を感じることは多いのですが、一番はこれなのです。

まるで、感情を敢えて表現しようとしている

ようにさえ感じます。

このようなお芝居をされてらっしゃる方は喜怒哀楽の感情を全部出そうとしてるのです。

おそらくこのセリフはこういった感情だから、それをしっかりと表現しようと思ってらっしゃるのかもしれませんが、ここに私は違和感があるのです。

おそらく、そのように考えてらっしゃる方は、感情が働くメカニズムを理解していないように思います。

では感情というものはどういう風に表れるのでしょうか?

ここから考えた演技でなければいけないように思う訳であります。

ただ単に、「怒っている人はこんな感じで怒ってるよね」とか「楽しい時は今感じで笑っているよね」とか、そういう安直な考えだけでは難しく、やはり感情が動くメカニズムをよく理解していなければならないのです。何故なら……

私たちの感情は無意識に働いているから

です。

無意識なので当然、どうやって働いているのかは分かりません。

ですから私たち俳優のお仕事は、

無意識を意識化した動作を学ばないといけない

のです。

ここをすっ飛ばして演技されてる方は本当に多いのです。

本来感情というものは、前回の演劇の話❷でも申し上げましたが、

湧き起るもの

で、自分ではどうしようもないのです。人間は感情に支配されるものです。その感情に支配されまいとするがために必死に抑えようとするが、それでも溢れてくるのが感情なのです。

これが自然な感情が表れ方ですので、感情を自分で出そうとしたら、リアリティは当然なくなります。

ですので、その感情を湧き起こるメカニズムをしっかり理解した上で表すことが肝心なのです。

分かりやすく言うと、怒ろうとするのではなく、怒りが湧き起るような状態に自分を持っていくということなのです。

そして、ここに私たちが実践している演技法がありまして、それが、

身体動作から感情を誘発させる

技術を使うのです。

演技というのは観客にお見せする技術ではなく、自分の心を動かす技術。

自分の心が動くから人の心も動かせるのです。

自分の心が動いていないのに、人の心を動かせるはずはありません。

ですから、演技は観客にお見せする技術だと思っている俳優は、「演技を誤解している」という風に私は思うのであります。

ここに、異論は沢山あるかとは思います。しかし、私はこのことを今まで実践してきて参り、今のところ、それ以外に考えられるものは見当たりません。

演技は自分の心を動かせる技術です。

では何故、私がここまでそう言い切るかをご説明します。

人は、動機を感じ取ることが出来ます。普段の私たちも、会話をしている時、相手の言っている内容よりも相手の言っている動機に注目しているからです。

ですから、この動機を感じ取るセンサーが正常に働いている場合は、ほぼ、動機を感じることが出来るものです。会話でも動機を感じ取ることが出来るのですから、お芝居だと尚のこと動機は感じやすいのです。

それは何故か?理由は簡単です。

一方的に受信のみだからです。自分がどう見られているかとか、自分は何を話そうかとか余計なことを考えなくても済みますので、入ってくる情報に集中できるからです。

劇場ですと、椅子に座ってリラックスして聞けるので、コンフォート空間での情報処理が出来るので、より鋭く動機を感じ取ることが出来るのです。スポーツのホームとアウェイと言いますよね。それのホームの方ですね。

というように、劇場では動機を感じ取ることが比較的安易な状態になるのです。ですから、演じる側の動機はほぼ、

透けて見えているのです

ですから、考えていることが手に取るように分かる確率が上がるのです。

ここでです。先ほどの誤解している演技をするとどうなると思いますか?

誤解している演技……つまり、感情を出そうとする演技ですね。これをすると明らかに、

感情を出そうとしている動機が伝わる

のです。

つまり役者の動機が観客に伝わってしまって、肝心の役の人物の動機が消えてしまうのです

ですから、感情を出そうとすればするほど、役の人物ではなく、役者本人の心情が表されてしまうのです。

このことに気がついていない俳優が多いからこそ、感情を出そうとする俳優が多く見受けられる。ここが現状の演劇に対しての違和感のあるポイントがあるのです。

怒ってても、私は怒ってませんよ。極めて冷静ですよという心の葛藤があるからこそ、劇的であり、悲しい涙を堪えるからこそ心の葛藤があるのです。

その葛藤を俳優は表現しないといけないのです。ですから、感情を誘発させる技術を習得して、感情を堪えるという自然な表現を手に入れてもらいたいのです。

演技をお教えしている学校では、発声、滑舌、イントネーション、朗読と様々なその表現テクニックを学ばれるかと思います。しかしそれは演技ではありません。飽くまで、表現方法をコントロールしているに過ぎません。しかもそれは飾れば飾るほど空虚な表現となるものです。実践的な、心の動かし方をお教えしてれば勿論良いのですが……如何でしょう……。

本当は自分が一番よく分かっている

他人は誤魔化せても、自分をごまかすことは出来ません。自分が感情を表現しようとすればするほど、虚飾したものを作り上げようとしているのです。本当に心が動いたのであれば、余計なことは考えないで済むはずです。心のままにあるがままにいれば良いはずなのです。

心が動いていないからこそ、表現しようとする気持ちが強く働くのではないでしょうか。しかしこの考えでは役の人物を表すことはかないません。

ここでもう一つ考えないといけないことは、役の人物に成ろうとしてはいけないということ。つまり違う人になろうとしてはいけないということです。違う人になろうとすることは、虚飾することに繋がります。ここでもう一つ重要な考え方がありまして、それは、

役の人物を介して自分を表現する

ということです。表現するのは飽くまでも自分で臨むのです。そうすれば、役の人物は私になり、その私の動機で動くことが出来るようになるわけです。

では、最後にどうすれば役の人物の動機で表現することが出来るのでしょうか?ということですが、

それはこういうことです。

役者の動機を消し込むこと

例えば、とある自分のセリフが怒っているような感情があれば、怒る表現をしようとするのではなくて、このセリフで結果的に怒っているように見えるようにしようと考え、

ことを心掛けるのです。

感情のメカニズムを言うと、例えば誰かとの会話で感情が動いたとします。この動く起点は相手の言葉に自分がどう感じたかでそこから感情が働くメカニズムが起動します。

感情が働く時の前動作は驚くという動作がまずあります。この驚く動作というのが色々あるのですが、一番簡単な例で言いますと『息を吸う』という身体の動作です。これは前回のブログでも言いました。

この驚く起点の台詞きっかけを覚えておき、その言葉が来た時点でその息を吸うという反復練習をするのです。この時イメージしやすいように、吸い方に少しアレンジすると良いです。例えば、怒るといった感情を湧き起こさせるためには無理に吸いたくないのに吸わされているというイメージを持って息を吸うとか…そういう動作を反復します。

するとこれが不思議なことなのですが、本当に意図した感情が湧き起こってくるのです。

この湧き起こった感情を何度も何度も反復練習すると、無意識にそういう感情を湧き起こすことが出来るようになるのです。

変な言い方ですが、相手の台詞キッカケで息を吸えば、後はオートマチックに感情が誘発されて、表現しようとしなくても表れてくるのです。

これが理想の演技なのです。

表現しようとしない演技って奥が深いでしょ。

でも、これが出来るようになると、自分で感情をコントロールできるようになるので、自分を良い感情に置きたい時はそうすることで、気分転換もしやすくなるのですよ。

この素晴らしい演技法をもっと多くの方に知っていただければと願っております。

演技は物凄く崇高な技術です。

俳優という職業は日本ではなかなか食べていけないというイメージがありますが、世界に出れば、特に文化を大切にされている国では素晴らしい職業として、育成から力を入れておられます。

日本もそういう土台が出来れば良いのですが、そのためには、まず、私たち俳優陣が素晴らしいことをしているんだという自覚を持つことが先のように思います。

俳優の演技術は本当に素晴らしいもので、素晴らしい価値のあるものだということを俳優を志す後進者の方に伝えたい。

そのためにも、このようなブログで発信し、共感いただける方と共に歩んでいければ、やがて俳優の地位も遥かに上がるのではないかと希望を持っております。

最後まで、ご覧いただきまして誠に有難うございました。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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「演技の話❸ 表現しない演技とは」への4件のフィードバック

  1. はじめまして。Twitterでは、
    フォローさせていただいております。50代のフリーの役者をしております、青山誠司と申します。
    今回のブログも、とっても納得しながら拝読させていただきました。
    自分の心をうごかす方法!
    私は20代から大阪の劇団に入って会社員もしながら芝居を続けてきましたが、恥ずかしながらどうも自分の演技は不自然だ、と感じて、今年2月から改めて、ある演技塾に通って
    おります。その教室を選んだのは、
    受信と発信について、自分は相手からの受信が不十分ではないか、という疑問の部分を学べそうだと思えたからでした。私はどうも、発信にばかり気が取られていて、感情表現も怒ろうとして怒る、喜ぼうとして喜ぶみたいなことに、なっているのではと・・。
    現在は改めて、相手に集中というかしっかり相手から受信して、それにより反応するという演技を心がけております。感情表現も、そもそも日常生活では感情を抑えている場面も多い中で、不自然に過剰演技にならないように、自然な反応での演技になるように、心がけて行きたいと思っております。
    ブログを拝読させていただき、どこまで書かれていることを理解できているか分かりませんが、大変に参考になっております。
    本当にありがとうございます。
    今後とも、よろしくお願い申し上げます。

    1. 青山誠司さま

      こんばんは。初めまして。劇団ブルアのさいとうつかさと申します。
      この度はコメント下さいまして誠にありがとうございます。

      Twitterではいつもお世話になっております。

      いつもTweet拝見させていただき、いつも勇気をいただいております。
      青山さまの演劇に対してのご姿勢に尊敬申し上げます。

      怖れながら、演技について、私もまだまだ発展途上の身でございますので、こうではないかということをBLOGに書き記させていただいております。

      今回のご感想の中で、しっかり相手から受信して、それにより反応するという演技を心がけてるというお言葉がございましたが、私も同感でございます。

      というのも、私自身も、受信することについて、今まで演技指導を受けてきた中で出来そうで出来ないことを求められて戸惑ったこともありましたので、そこをどうにかできないかと考えていたこともありました。

      この内容についても以前ブログに書きましたので、もしよろしければご覧いただければ幸いです。

      《演劇ワンポイントレッスン⑯》【超簡単】相手の台詞はこう聞こう 
      https://burua.net/lets-hear-the-other-partys-line-like-this/

      今後のご活動で、お役に立てることがありましたら是非よろしくお願いします。

      ありがとうございました。

      さいとうつかさ

  2. さいとうつかさ 様

    お世話になります。
    このたびは、お忙しい中、
    丁重になご返信までいただき、
    誠にありがとうございました。
    ご紹介いただきました、

    《演劇ワンポイントレッスン⑯》【超簡単】相手の台詞はこう聞こう

    も、拝読させていただきました。
    とても納得できました。
    私自身、取り入れさせていただき
    ながら、これからも精進していき
    たく存じます。

    本当にありがとうございました。
    今後とも、ブログでも勉強させて
    いただきたく存じます。
    何卒よろしくお願い申し上げます。

    青山誠司

    1. 青山誠司さま

      こんばんは。
      お返事くださいましてありがとうございます。

      拙い文章で読みにくいところもあるかと思いますが
      これからも、よろしくお願いします!

      こちらも頑張って参ります‼
      失礼します。

      さいとうつかさ

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