私の演技への注文はどうも細かいようです(笑)
これはどこに行っても言われます(笑)
ですから当然自覚はあるんです。
でもね……、言い訳みたいに聞こえるかもしれんせんが……
演技って技術なんですよね
ですから、こだわるのは当たり前なのだと思うんです。
そんな細かいところ誰も見てないって……ってよく先輩方にも昔から言われてるんですが、
絵画や美術品でも、作り手の意図をしっかりと酌み取れる人は本当に限られていると思うんですよ。
芸術という観点から言うと、ただ単に見るだけだは伝わらないものだって往々にしてあるのです。
お芝居は「見る」と言わず「観る」という
これに尽きると思います。
人間って無意識に動いている事って本当に多いんです。
それでいて、無意識に感じ取っていることも本当に多い。
ですから、細かな動作をしてもその意味合いに重要性を持たないのであれば、それは逆に言うと無意識で動いているということをよく理解していないということになる。
役者の動機ではなく、役に人物の動機でなければ、観客の皆様は必ず見破ります。役者の動機ばかり感じると当然、物語の中には入り込めません。
ですから、私たち表現者は、役の人物の動機から探る動作を、つまり無意識に伝わる表現をもっともっと研究しなければならないと思います。
細かいところは、その表現に効いているのではなく、本当は自分の心に効いてくるものなのです。
まずは自分の心を動かすことが最重要なわけですから、そこから滲み出たものをご提供したいところですよね。
「こういう風にしたら、お客様はこう思ってもらえる」というあさはかな考えではなく、自分の心の底から湧き起こるもので勝負する。
「こういう風にしたら、お客様はこう思ってもらえる」っていうのが何故「あさはか」なのか……
そうするとその動機がお客様に無意識に伝わるからです。
思えば伝わるという原則がある
そんなことはないとお思いになるかもしれませんが、もしそう思うのであれば、無意識だから伝わっているように感じていないだけなのかもしれません。
ですから、そういう感覚を研ぎ澄ますことがとても大切で、それは演じる側も観る側にとってもとても大切なものなのです。何れにしてもこういう意識付けが感覚を養う。
演技というのは、人様にお見せする技術ではなく、自分の心を自在に自然に起こさせる技術なのです。
自分をごまかすことは本当に難しいです。ですから自分を本気にさせる技術がどうしても必要になるのです。そのお手伝いができるアイテムが演技なのです。
野に咲く花を見て、奇麗と思う心であるかどうか…
それは人それぞれです。
ただ、あの野の花自体は着飾っている訳ではない。
野の花を見て奇麗だなと思う人の心に美しさがあるのだと思うのです。
自然の美しさはそういうところにある。意図的なものは何もない。
演技もそういうところに美学を求めたいものです。
自然たれ
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。