自分の都合の良いように考えることは悪いことではない

またまた変な題名ですね(笑) 自分の都合の良いように考える。昔、浪曲で左甚五郎シリーズの「掛川の宿」という口演がありまして、そのあらすじを言うと、

宿の前に「向こう三日間、どなたに限らずお泊め申すことはできません」という立札があって、そこにへそ曲がりの老人が「宿屋家業してて泊められへんとは生意気な。わしは泊められんと言われたら無理から泊まりたい。いっぺんごちゃごちゃ言うて泊まったろ」と言って店の中に入るというのがこの話の始まり。中に老人が入ると番頭さんが出てきて泊められない訳を言いますが、どんな部屋でも良いから泊めさせてくれと言います。

番頭さんは忙しい理由から泊めたくなかったので、宿の悪いところばかりを言って追っ払おうとしたのですが、その老人は何を言ってても聞きません。それどころか…

番頭「宿賃高いぞ」 ⇒ 老人「無理を承知で頼んでますから」

番頭「食うもんなんにもないぞ」 ⇒ 老人「胃が丈夫になる」

番頭「布団が薄いぞ」 ⇒ 老人「ああ、肩が凝らんで良いな~」

番頭「部屋にノミがいっぱいいるぞ」 ⇒ 老人「にぎやかでええ」

と、ことごとく良い風に物事を捉えて、結局、宿に泊めてもらうという面白い名調子のシーンがありました(笑)

このご老人…とってもポジティブですよね(笑) 自分の良いように良いように解釈して、自分の思う通りに生きているのですね。まぁ、これは少しオーバーで参考にならないのですが、解釈の仕方は自分で決めることが出来るのです。だから自分の都合の良いように考えて、常に自分が気持ち良くいられるようにするということは理論上は可能なのです。ただ、「そうは言っても、やはり自分が良い風に捉えようと試みても嫌なことも現実的にはあるので、それは無理だと考えてしまう」そうお感じなられる方もいるでしょう。

では次のページで、こういう話をしてみます。

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