
皆さんは我の強い人と聞いてどういうイメージを持たれますか?私のイメージとしては・・・
あまりお近づきになりたくない(笑)
というのは半分冗談ですが(笑) ・・・少し窮屈な感じがします。「そうせざるをえない」という生き方で、それを
「ポリシー」
と言えば聞こえは良いですが… 本当のところはどうなのでしょうね。
自分の生き方を自分で決めることは良いこととは思いますが、私たちは進歩、成長することで喜びを見出しているところもあり、未だ見ぬ自分の可能性を見るならば、出来るだけ、考え方に制約がない方が良いと思いますし、良いことは人に聞いて、自分で上手く取り入れることはとっても必要なことだと思います。
ただ、私は…仮に、人が壁に出くわして、自分がその解決策を知っていても、相手がその解決策を知ろうとしたくなければ、教えない方が良いと思っています。
凄く冷たい言い方のようにも聞こえますが、
言って解決するほど甘くはない
と思ってるのです。自分で経験して、痛い目に遭って勉強することの方が大切で、そうしないと覚えられないということの方が世の中は多いように思うからです。そしてこのことで何を勉強しているのかというと
勉強する上での謙虚な姿勢
が身に着けられるのだと考えています。少しきつい言い方をしますが、人の意見を聞き入れない我の強い人は、技術習得をする際にとても苦労をします。目の前に立ちはだかる壁として現れるのが常に自分の「我」だからです。そして、我を通すと間違いなく、不本意な生き方を強いられるようになります。人間は成長しないとなかなか世の中との調和が図れません。私たちは調和の中で生きることがとても重要でそれが幸せの鍵なのです。
調和を図るためには、自分の成長が求められ、成長すれば、これから進んでいく際に現れる壁、つまり「問題」は次々と変化していくものですし、より大きくなるものです。そうして、徐々にクリアしていき、少しずつ少しずつより繋がりの多い要の人間になれるのです。そして、人間関係で要の人は幸せな人だと言えます。自分の存在意義にもなりますし、何よりも「与える喜び」を知ることが出来るからです。
しかし我の強い人の問題はいつも「自分」が障壁になってしまっているので、変化していないのです。同じ壁にぶつかるということは成長をしていないという証。これは人よりも自分に意識が言っているのが原因です。
『人の為になることが自分のためにもなっている』
生き方を知るためには、まず人に意識を向けなければいけません。そして、人に意識がいかない人だから「幸せ」が感じられないと私は思っています。
ではどうして、人に意識がいかないと幸せになれないのか?今回はこの話をさせて頂きます。
人に関心を寄せれば幸せが訪れる法則の目次 |
---|
1.見返りを求めると要注意 |
2.欲しいものをあげられる人になりませんか? |