リアルな私をご存じな方は知っておられますが、

私は人と比べると結構自由に生きさせていただいてます(笑)

私の自由の基準は

「やらなければいけない」

が少ないとでも言いますか、

それよりも

「やりたい」

ということを優先できる環境にあると言えます。

ただ、私みたいに生きたくないという人も多いはず(笑)

私の生き方には保障や保険がありませんのでね。

ですので、マイノリティな方だとは思います。

ただ、私をうらやむ人も多いです。

超多忙な人は特に…(笑)

それだけ、私は自分の時間を大切にしています。

私たちの活動は想像力が必要です。その想像力を生かした活動をするためには、

ぼーっとした時間は必要です

ですので、時間を作るための努力をたくさんしてきたのだと思います。

苦労していないわけではないと思います(笑)

誰もが経験する山あり谷ありを経験しているはずです(笑)

ただ私が申し上げたいことは努力したから今こうして自由な時間を使えると言いたいわけではありません。

私が申し上げたいのは

自分ってそんなに苦労したかな???

そんなに頑張ったかな???

努力したことあるのかな???

と自分では思っていまして、

今から思うと、好きだからできてたんだろうなと思うことばかりなのです。

その時、私は一つのことに気がつきました。

それが先ほど申し上げた

私はやりたいことしかやっていなかった

ということです。

ただ、ここでご説明したいことがあります。

私の過去は客観的に見られると

超管理社会で育ってきた

と思われています。

ここで私の過去のお話をさせて頂きます。

私が以前所属していた劇団はスパルタでした。

劇団員として5年続いた人がいないという……(笑)

本当に厳しい劇団でした。

まず、考え方から矯正されます。

「普通は」「常識として」「当たり前」の言葉を駆使して

私のゆるい考え方をことごとく矯正されました(笑)

また、

自分が矯正できたことでも、周りの人がまだ直せていない人は当然雷が落ちるので、いつも自分が叱られるわけではないけど人の動向にもひやひやしてました。

阪神大震災後の劇団活動は特に悲惨で、よく「震災ギレ」といって、お師匠さんから尋常ではない怒りに触れたことが何度もありました。

無休、無給の時期もありました。

あの時は震災で神戸の劇団が焼失被災して拠点を大阪に移し頑張ろう頑張ろうとなっていましたので、

一人で真冬の極寒の中、大阪の環状線の橋の下で毎日舞台の大道具を叩いていたこともありました。

警察の人にこんなところで作業したらあかんと注意もされました。

事情を言っても向こうもお仕事。それを許すわけにはいかないと言われたので、

そっと隠れて作業してたこともありました。

お芝居の稽古でも、理不尽なことを言われるのは当たり前で、ビール瓶が飛び交う稽古もありました(笑)

周りの劇団からもよく同情の声が(笑)

周りから気の毒な目で見られるのが逆に辛かった……(笑)

そんな超厳しい環境の中でどうして

私はやりたいことしかやっていなかった

と言っているのでしょう。

やらされてばっかじゃない??(笑)

しなければならないことをしてたように周りからは見えていたと思います。

ではどうして、そんなスパルタな環境でも「やらされた」というよりも「やりたい」と思えるようになっていたのか。管理の中の自由というお話をさせて頂きます。

目次
1.道を作る

2.好きなことが好きではなくなった

1.道を作る

私は震災後、お師匠さんの家族の元へ駆けつけられたのは2日後でした。

駆けつけたところは大阪の都島にある共同住宅の一間。

お師匠さんと奥さんと私の三人でコタツに入ってしばらく無言の時間を過ごしました。

そして、

「さいとう、お前これからどうするねん。」

とお師匠さんに言わました。

「いや、何も考えてません…」

この時、私の正直な気持ちを話すと、

もう芝居は絶対に出来ない

と思っていました。

もう続けられないかな……

そう思っていました。

その当時、私は芝居をはじめて3年目。

以前のブログでも何回か記しましたが、芝居を始めたきっかけが

赤面症を治すこと

そんな自分が芝居を好きになり、この世界で頑張ってみようかなと思っていた矢先でした。

しかし、私の大根役者ぶりは凄まじく(笑)

練習しただけで笑われるというとんでもなく場違いな人だったので、

ここの劇団を離れて違うところの劇団でというのは通用しないと考えていたので

ここを辞める=芝居を辞める

という思考回路になっていました。

そしたら、次にお師匠さんがこう尋ねてきました。

『お前はどうしたいんや?』

それを問われて思わず、

 「それは……やりたいです」

と言いました。するとお師匠さんが

『なら、そないしょうか。その代わり、しんどいぞ』

そういう経緯から、

震災後の12日後に舞台セットを作り上げて1995年に1月29日、大阪の茨木の市民会館で公演をしました。

……辞めようという気持ちはどこに行ったんだろう(笑)

でも辞めなくて良かったです。

辞めていれば、今の仲間と会うこともなかっただろうから。

さて、この話の本題ですが、

『お前はどうしたいんや?』

と聞かれたことがポイントだと思っています。

単刀直入に言うと、

やらされている人は出来ないことにしか目を向けず、やりたい人は出来る事に目を向ける

これに気がつかされたのです。

私もこの「どうしたいんや?」という質問が来るまでは「やらされている」側でした。

しかし、道が途絶えて、前に道がない時に、はっきりともう、お師匠さんを頼ることはできないと思ったのです。

そのお師匠さんから「したい道を選べ」と言われたような気がしたのです。

自分のやりたい道は色々あったと思います。もちろん辞めるのも道でした。

しかし今から行く道を決めても良いと言われた時、もうそれが本当に嬉しくて、

出来るなら、今度は僕が助けてあげたいという気持ちになったのです。

おこがましいのですがね(笑)

それから、アルバイト先に事情を言って辞めて、

昼夜劇団の活動に励みました。

休憩中の缶コーヒーがとっても美味しかったのは今でもよく覚えています。

作業終わりの夜中の帰りにたこ焼き買って歩きもって食べたことも…(笑)

お風呂に入って、ペンキのついた手を洗い、赤切れで絆創膏を剥がし剥がししたことも。

『今日も一日よく頑張ったな!!』

一銭にもならないけど、誰かのためになってるって良いよなと思えてる自分がいました。

『俺……これがしたいんだわ』

若い頃の私は、云わば「背水の陣」になって、初めて自分の演劇への向き合い方が分かったような気がしました。

この時ほど、自由なものはなく、どこまでも自分がやりたいことが出来ている。

周りからしんどいだろうと思われていても、芝居が続けていけたのはこういう経験があったからだと思います。

ただ、私の場合はこのようなきっかけがあり、気がつくことが出来ましたが、

誰もが背水の陣を経験するわけでもないので、

私なりに「どうすればやりたいことが出来る自由を手に入れられるのか」というお話を次のページでさせて頂きます。

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