どうして私がめい想をするようになったのかをまずお話しします。

私は何百回と舞台に上がってますが、緊張しなかった公演というのは一度もありませんでした。

常に舞台に上がるのは怖く、出番待ちをしている舞台袖では、逃げ出したい気持ちでいっぱいなのです(笑)

そんな逃げ出したい時に、よくやっていたのが、

『おまじない』

ルーティーンです。

私のルーティーンはたくさんありましたが、その中でも特に大切にしてたのが

「絶対に左足から歩む」

というものでした。

その時に

「左足から行けば、後は流れるように進む。流れるままに」

という呪文もあります(笑)

稽古や準備をしているけども、舞台は何が起きるかが分からない。

勝負はやってみないと分からないのです。

舞台に臨むときに、絶対に注意しないといけないのは

『ベストを望むのではなく、ベターを望む』

ということ。

お客さんと舞台の一体化が目的なので、予測不能、完璧など絶対にありえないのです。

不確実性なところに完璧を求めるということは「策」に溺れることと同じで、非常に危険なのです。

最善だと、仮に不測の事態が起きたとしてミスをしても「次」とすぐに切り替えられるが、

完璧を求めていると、ミスをした時点で動揺して、それを引きずる可能性もあり、負の連鎖が起きやすくなる。

ですので、舞台上では極めて冷静にお客さんと向き合い、お客さんとの最善を見つけて、お客さんと歩調を合わせた展開にしなければならないのです。

このような経験を重ねると、

舞台というのは、自分の実力ではどうにもならないというのが分かってくるようになるのです。

それどころか、自分の実力を出すには、どうしてもお客さんのお力が必要だという想いが強くなるのです。

「人任せの演技」(笑)

そうはとらないでくださいね(笑)

『お客さんが感情移入して観て下さっている』

そういうことを感じることが出来た芝居は、本当に良い作品になるということが分かったのです。

これが俗にいう

『お客さんに育ててもらった』

というものなのかもしれません。

「お客さんがどうお感じになられているのか?」

これを自分が感じ取ることが出来れば、お客さんと共感できる確率が上がるのです。

お客さんと共感できると舞台はとても良い空間になります。

ですので、相手の人がどのようにお感じなられているのかが分かるようになればと思ったのです。

集中している時は、自分でも信じられないほど、たくさんのタスクに目を向けられるようになって、多くのことを冷静にこなすことが出来るようになります。

これはなかなか信じていただけないところではありますが(笑)

今から変なこと言います。

集中すれば1秒が1.5秒くらいに感じるのです。

それくらい心にゆとりが出来て、良いタイミングをドンピシャで合わせられる。

この時ほど冷静な時はなく、相手役の人の表情の変化、照明の当たり方、袖から見られている仲間の感覚など、多くのことを感じ取ることが出来るようになるというわけなのです。

お客さんの気持ちだけではなくわれわれ作り手仲間の気持ちも見えるような感覚を感じ取ることが出来るようになるのです。

この感覚を感じると自分の中に流れている血が静かに騒いで、全身が痺れる経験をするのです。

私はみんなで作っている気持ちの「バトンタッチ」のように感じています。

一人一人が次の人にバトンを渡す。

大切に大切に進めていくことを実感できる瞬間です。

この時に、雑念などは一切なく、目的だけに目を向けていて、この状態がとっても興奮するのです。

心は無の境地ではありませんが、目の前に自分のすることが明確にあり、その単純作業のおかげで、冷静に感じることが出来る。

この冷静に感じたことが、まるですべてが上手く進められる要因だと思われるのです。

そして、めい想は当にこの今お話ししたお芝居の経験と同じような状態に作ってくれて、そこから何かを感じる一つ一つが

『生きていく上での問題を解決する方法』

として見つけられているように感じるのです。

私は、かなりマイノリティな人生を歩んでいます。

法に触れることはしませんが、世の中の風潮や、規律にはかなり縁遠い人生と言ってもいいでしょう(笑)

こういう人間は本来社会に合わせる生き辛さを感じたりするものでしょうが、幸い私にはそういうことはありません。

勿論、若い頃は私のような人間は叩かれました。

色々な「ドリームキラー」がいました。

しかし、今、こうして自分で思う通りに生きていることが出来ているのは、根性とか根気とかそういう精神力的なタフさとは無縁で、ただ、自分の信じるところにフォーカスしてきたからだと思っています。

そして、その自分の信じるものというのが、

『感覚を大切にする』

ことであって、今の私の判断基準はこの『感覚』によるものが殆どです。

そして、この感覚を信じて判断した結果はことごとく上手くいっているのです。

こういう話はなかなか信じていただけないとは思います。

しかし、過去の強運の出来事を見ると、私の歩んできた道は、誰かから芝居をしなさいと言われているような道になっていて、くっきりと現れている。

困難を乗り越えるとその先にはいつも芝居への道しるべがあって、それに沿って向かうと次々と

「芝居をやっててよかったな」

と思える出来事を経験するのです。

目の前の困難を乗り越えるとさらに良い経験が出来る事がなんとなくわかったのですが、やっぱり人間は困難が出てきたら出来るだけ避けたくなるのですね。

しかし、困難を避けると良い流れにならない場合は、やはり「これは乗り越えろということかな」と思えるようにもなったのです。

困難に向かうのは最初の一歩が一番難しく、この最初の一歩を踏むのを簡単にさせる考え方が

『自分は強運の持ち主だと思っていること』

なのです。

何故こう思っていることが良いのかというと、

そう思うことで、困難がチャンスに見えるからなのです。

だから一歩が踏み出しやすいのです。

そして、一番重要なことは、やって見出したら、

意外に大したことがない

ことも多いということが分かります。

自分の想像が無理だと思っているだけで、実はそうでもないことって結構あるのです。

なんだかんだ言っても、結構自分でできるものなんだな』

そう気がついた時に、

私はいつもこう思うのです。

『未だ見ぬ自分と出会うことが出来たな』

と、ドロップアウトした人間がプロの俳優になれたのも、海外で芝居をして高い評価を頂けたのも、急きょ数日で2時間半の主役を務めあげることが出来たのも、これは自分の実力では絶対に成しえません。

全てにおいて、

『超ラッキー』

なのです。

進んでいくと、自分にとって上手くいく種が絶対に出てくるのです。

この種を見つけることが、人よりも上手いから、助かっているのだと思えます(笑)

これでも運が良い人だと思いますか?

いいえ。

私は運が強い人だと思ってます。

信じてもらえないかもしれませんが、もしも信じてくれる人がいて、上記のような考えで実践してくれたら、きっとわかっていただけると思います。

そして、

「ほら!言ったとおりでしょ!!」って言いたい(笑)

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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