私は演劇を始めて30年ほどになります。以前所属していた劇団で、日本各地、海外での公演に参加しました。
出演回数も400回を超えて、場数だけは多く踏んでおります。しかしながら、未だ発展途上であり、知らないことの方がまだまだ多いように思います。
経験すればするほど、そういう自分の無知な体験に遭遇するような感覚で、続けていけば皆さんそうだとは思いますが、始めたての頃は本当に何も知らない状態で舞台に立っていたんですよね(笑)
若い時の方が固定観念が強く、また断定的な考えで演技を決めつけていた。しかし、進歩すればするほど素晴らしい色々な演劇の環境に触れる機会も増え、その固定観念がその都度その都度壊されていき、今では柔軟な考えで演技について取り組めるようになったかと思います。
不思議ですよね。普通は歳を重ねるほど、固定観念がつくように思いますが、そうではないんですよね。
それだけ演技ということは得体の知れぬもので、最初に思っていたモノのはまるで違っているということが言いたいわけです。
さて、唐突ですが、皆様は演技について、どういう概念をお持ちでしょうか?
おそらくこう問われても答えることは難しいかと思います。皆様はどう思われているかは分かりませんが、私が若い頃、どのように演技を見ていたのかを話せばおそらくご理解いただけると思いますので、少しお話しします。
私は、演技というものは、観客にお見せする技術だと思っておりました。演技を駆使して、お客様に感動を与えるということ。このように考えていました。
しかし今は全くその考え方とは違います。
演技というのは観客にお見せする技術ではなく、自分の心を自在に動かせる技術だと思っています。
例えば、普段の会話の中で、「あの人演技してる」って言葉を耳にしますよね。そういう言い方って、大抵は「本意ではない」。
つまり嘘の感情だっていう感じに使われますよね。実は私も若い頃はそのように思っていたのです。
「役に成りきる」であったり、「違う人に憑依する」とかそういった具合に思っていたのです。
しかし、舞台を踏むにつれて、お客様と対峙する経験が増えてくると、「役に成りきる」「違う人に憑依する」という感覚はどうも違うように思えてきたのです。どうしてそのように思ったのか?……それはこういうことです。
違う人になろうとしている
そういう考えの基から出発したものだなと感じたのです。
これは、今の自分ではない役の人物を見てもらおうとする考え方で、これは暗に自分の存在を消す行為に繋がっているのでないかと考えたのです。
お客様は何を観に来ているのか?
この時に一番大切なことは、作品の中で生きている人間を観に来て、その臨場感に共感し、感動を覚えるのだとすれば、自分の存在を消すようなアプローチで演技をしても良いものだろうかと、ふと考えるようになった訳です。
もちろん、こういうお話に何が正解かはありません。ただ、そこから私は次にあげる考えから派生した演技で取り組んだ結果、明らかにお客様との共感が得られるようになったのです。
今回、最もお伝えしたい内容です。それは……
自分の役の人物を介して自分を表現する
ということ。
これですと、舞台に立っているのは紛れもなく私自身であるということなのです。
私を見てくれ!(笑)
そう考えるようになったのです。
変な言い方ですが、それまでの私は、「演じている私を見てくれ!」だったような感覚だったのです。
違う人になろうとすると、究極で言えば、限りなく近づくことはあっても、同じになることはありません。
それは、役の人物に対しても失礼な話で、天上天下唯我独尊であるべきだなと思ったわけです。
この命そのままで尊い
そう考えることで、その尊い様を表さなければ意味がないと感じたのです。
その人の気持ちに置き換えてとかではなく、作品の世界に自らを放り込み、もし私ならばどうするだろうかと考えることに着目するようになりました。
この着目点から、私の演技に対する考え方が180度変わったと言っても良いでしょう。
それは、「自分の台詞よりも、相手役の台詞、ト書きの方が遥かに重要」だと気がついたのです。
世の中で、こういうことがよく言われております。
他人のことを自分の身になって考えてあげよう
しかし、このことは容易に出来ることでしょうか?
その他人が、自分にとって多大な影響力のある方であれば、出来るかもしれませんが、それほどでもなければ難しいことだと思います。
ただ、その他人が自分にとって大事な人であれば、その人の身になって考えてあげることはしやすいかと思います。
つまり近しい人でなければその他人の身になって考えることは難しいのです。ただ、その役の人物が私であるならば、話は変わってきます。
役の人物が私であるのならば、考えるのは至極当然になってくる。
これは台本の読み方の深さによって現れるのです。違う人になろうとする人の台本の読み方と自分を表そうとする読み方では全くと言ってその深さは変わるのです。
こうした意識の変化から演技への取り組み方は大きく変わるのです。
あなたにとって演技とはどのようなものでしょうか?
この自問自答が、あなた御自身の成長を観ることになるでしょう。
話は戻りますが、このような考えの基に、このように考えることも出来るようになるのです。
観客にお見せする演技では、どこまで行っても嘘になる。
ということ。
私が思う演技というのは、飽くまで、
自分の心を動かす技術
です。本当に心が動く様をお客様にご覧いただくことが、何よりも共感を生む。
劇場芝居の醍醐味は、面白かった、楽しかったも、もちろん大切ですが、一番は浄化を引き起こすことです。
これは劇場ならではの楽しみで、劇場全体が一つのエネルギーとなって、お客様と舞台が同時に一体化されて浄化された空間になることなのです。
ある人は放心状態に。またある人は、何にでもできそうな無限の力が湧き起るような感覚が芽生え、人間本来のエネルギーに気づかされることになるのです。生きているという幸せを感じることは人間にとって大切なことで、これが演劇の醍醐味なのです。
この一体感を生み、浄化させるためには、演劇製作者一人一人が臨場感を大切にして、共感を生みやすい環境を常にお客様に提供できるようし、演技者の役割としては、作品の世界の中で生きることが何より大切なのです。
ですから、演技はリアリティーがなければなりませんし、鮮度も重要になってくるのです。
このリアリティーのある表現を習得させることが出来るのが、「演技」という訳なのです。
演技というのは、自分の心を動かせる技術です。この方法を知っている人は演劇を長くされている方の中でもあまり知られていないのが現状です。
何故なら、演技は人にお見せする技術だと思ってる方が多いからです。
もし、そういうお考えで、観客にお見せするとどうなるか?
お客様は、間違いなく演技をしてるという風に見抜くでしょう。つまり嘘の表現をしていると認識されるのです。これでは舞台を一緒に育むことは叶いません。
嘘偽りのない感情表現を手に入れたいのであれば、これだけは覚えておいて下さい。
自分が本当にその感情になるということなのです
その感情を引き起こすことが「演技」なのです。
これが今回の申し上げたかったことです。
是非一度考えてみて下さい。この世の中で何が正しくて何が正しくないかを?
その判断をするためにまずどうすれば良いと思いますか?
答えは簡単です。実際に自分がプレイヤーになって事の本質を見極めることです。ただそれには相当な年月がかかります。ですので、色々と経験を積んだ多くの人の意見を聞いて、学ぶことが大切なのです。
そしてまずすべきことが自分の立っている位置を確認することです。
自分の立っている位置がずれていたり間違ったところから考えたものであるならば、正確なことは何一つ得られません。
ですから、色々な人の意見を聞くことが肝心なのです。
色々な人の意見を聞くと、考えるという作業が必要になります。この考えるということが本当に大事で、それが自分なりの考え方に繋がり、やがて自分のやり方を見つけられるようになるのです。
そしてこの自分のやり方を見つけることが出来るようになると、間違いなく、その先の探求する行動は楽しくなります。ここから、演技探求に対して努力するということはなくなりますので、そういう自分にいち早く出会えることを応援したいです。
話は長くはなりましたが、私にとってこの話はとてもとても大切なことで、この考えによって日本の演劇界が元気になってくれればと切に願っているところであります。
次回からは、実際に自分の心を動かす演技についてもお話しさせていただきます。是非、お楽しみ下さい。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。