努力だけではなかなか行きつかないところ。
今回はこの話を致します。
他力のお話。
他力本願
という言葉をよく聞かれるかと思います。
これを「他人任せ」のような悪いイメージで捉えている人がいますが、これはそういう残念な意味ではありません。
親鸞聖人のお言葉ですが、
『他力』は阿弥陀如来(鎌倉大仏)のお力で、物事を一心に取り組むと他力が働くという意味ですね。
演技練習は反復練習が多く、何回も何回も確認して練習します。自分の納得いく演技を見つけるために一心にしていると、ふと突然アイデアが湧いてきたり、何かの偶然で演技の答えを見つけられたりという偶然性が現れたりするのです。
お力をお借りしているよりも、
寄り添っていただけている
ような感覚で、
気がつけば、自分の練習に取り組む意識がいつの間にか変わって、いつの間にか自分の中の答えが出ていたという不思議な現象が起こるようになるのです。
練習に取り組む意識が変わるとはどういうことかと言いますと、
答えを見つけるために練習しているのが、いつの間にか答えが分かっているからこの練習をしているのだなという感じになるといった感じでしょうか。
答えが分からず闇雲に進んでいたはずの見えない道であったにもかかわらず、あたかも最初からここを進みなさいという道に進まされている感覚が芽生えるという感じとでもいいましょうか。
「これをしなさいということだったんだな」
と後から思うとそのように感じた出来事は、全て他力が働いていたのだと思います。
どう考えても、自分の力では見つけられなかったことや、自分の実力以上のことが働いているということが演劇をしているとよく起こります。
そのような不思議な力を感じているので、成功できた公演は間違いなく
自分の力ではないことが起きている
と不思議な力が働いていると感じるわけなのです。
自分の実力で出来たことはほんのわずかで、後は色々な力がとってもタイミングよく働いているので、奇跡を感じる……
それはまるで
劇場が大きな生き物で、私はその「一細胞」のような感じのように思える
のです。
見えない力や見えないところで調和を図り、全てのものと上手くことを進めているように思えるのです。
何事もそうかもしれませんが、「道」を進むと誰もがそうなるのかもしれませんね。
どの世界の職人さんも、信じられない技術をお持ちで素晴らしい価値がありますよね。
ずっと同じことを身体に覚え込ませていくと、そのなるのでしょうね。
演技は反復を伴う練習が殆ど。
何故反復する練習ばかりするのか?
それは、反復させることによって、自分の内から教えてもらうものがあるのですね。
つまり自分の中に阿弥陀如来のお姿を見るというようなことをしているのではないかなと思うのです。
誰の心の中にも。
だから、そのお姿を感じるためにも人間は本気になった方が良いと思います。
一心に打ち込むものがあることは幸せなことです。
進む道にいつも選択の余地があると自分で余裕を作ってしまうことになる。
だからそこの境地にはなかなかいかないことなのかもしれません。
自分の本気はいつ出るのだ‼
退路を断つことで、本気にさせることの大切さ。
努力で行きつかない境地というのはそういう意味ではないかと私は思っています。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。