この話は皆様もよくお耳にされるかと思われます。
自分の欠点をダメと考えるとそれを修正しようとしますが、
自分の欠点を個性と捉えることが出来ればそれを生かそうとする
という話です。
私にも実はこの話がありまして…。
私は、20歳の時に赤面症を治すために、この演劇の世界に入りました。
人前に立つことはおろか、人と話をすることも得意ではありませんでした。
ある新聞の広告で、私が以前所属していた劇団に基礎講座というのがあり、そこから私の演劇活動はスタートしたわけですが、
最初は、当然ですが演劇には全く興味はありませんでした。
それよりも、
演劇をしている人は変わり者が多いよな…(笑)
と思ってました。
中でも特に変わり者の方がいて、いつも魔女の格好をしているおじさんがいたのですが、その方と一緒に電車に乗るのは赤面症の私にとってかなり辛かったのを今でもよく覚えています。
今はハロウィンとかで街中でもコスチュームを楽しむ文化がありますが、30年前は…なかったんですよね(汗)
探さなくても良いのに、
「さいとうくん、待って‼一緒に行こう!」
って大きい声でいうものだから、駅とかでは出来るだけ見つからないように隠れて電車に乗り込んでいました(笑)
基礎講座では、人前で話が出来るようになれば良いとだけ思ってましたが、そこで芝居の世界に目覚めてしまったのですね。
初めての舞台を踏んだのはそれから1年半後で、そこから400回以上舞台に立ちました。
初舞台は緊張しまくり(笑)
顔から火が出るというのは当にこのことだなという感じでしたね(笑)
最初の頃は舞台に立つのが嫌で嫌で仕方がなかったのですが、段々と舞台に立ちたいという感じになっていったので人間というのは不思議なものです。
その時くらいに自分のことをこのように思ったのです。
多分、赤面症は相手の反応を過剰に受けとっているので、受け取らずに堂々といれば良いと思っていたのですが、
舞台を重ねることによって、
「自分は人の反応がもしかしたら結構敏感に分かっているのかも!」
と思うようになったのです。
それから、舞台で踏んでいくととてつもないことに気がついたのです。
「演技って、発信よりも受信の方が大事なんだ」
ということを……
演技の練習は発声であったり、動作の表現であったりと発信の技術を磨いている人は多いのですが、お客様がこう感じているであったり、雰囲気を読む受信の技術は、あまりしていなかったのですね。
受信の技術はどちらかというと、本番で養うという感じでしょうか…。本番のお客様の反応を見て、自分の技術に取り入れるといった風潮があったのです。
しかし私は、赤面症だからなのか、稽古の段階から人から見られているという意識が人一倍高く、とても感受性が研ぎ澄まされるようになっていたので、本番でも、お客様がどのように観ていただいているのかが、周りの俳優陣よりもより正確に分かってくるようになったのです。
これは演技をする上で、自分の演技の修正する時に、かなり正確なフィードバックとなりますので、的確な修正が出来たということで役立つことになりました。
そしてさらに驚くことに、段々舞台を経験していくにつれて、
「自分がこうすればみんなはこう感じる」
ということが少しずつ増えて、段々と演技が面白くなってきたのです。
今では、赤面症のお陰で、この世界を知ることが出来たし、赤面症のお陰で、感受性を生かした演技を身につけることもできるようになりました。
赤面症さまさまです(笑)
そして、このエピソードを知っている人は大抵このようなことを聞いてこられます。
「さいとうさんは、それで赤面症を克服されたのですか?」
と。
私の赤面症はいまだに直っていません(笑)
恥ずかしいと思ったら今でも火が出るほど真っ赤になります(笑)
でも、今ではそういう自分もかわいいなと思えています(笑)
そういう風に言うと、いつも周りからは、
『かわいくはないですけどね…』と突っ込まれます(笑)
自分がとっても治したかった赤面症。
今はただの赤面になった話。
人間って、ものの考え方でガラって変わるものですよね。
一つ言えることは、
なんでも良いふうに物事を考えること
これは、本当に素晴らしい考え方です。
人間って本当に凄いなって思うのは、悪い出来事が起きてもですね。物事を良く捉えると、不思議と起きる状況が好転するのですよね。
これは、戯曲を読んでいてもよく感じることなのですが、
劇的な戯曲は、人間の葛藤が表されている場合が殆どで、そしてその人間の葛藤には、
何かしらの法則があるように思えるのです。
逆にこの法則がないと、多くの人と共感できないような気がするので、それを考えるとこの法則はとても大事なことなのだと思います。
ではその法則とはどのようなものかというと、
自分の目の向けたくないところに目を向ければ転機が訪れる
ということです。
簡単に言うと、悲劇の場合は、最初は幸せな世界で始まり、劇的なところを境に不幸へと突き進む。喜劇の場合はその逆で最初は不幸の連続だけど、劇的なところを境に幸せが訪れるということです。
そしてこの悲劇も喜劇も、劇の中の世界に生きている主人公は、何れも劇的なところ、つまり「ある出来事」が原因で転機が訪れている訳ですが、その転機になる状況が自分の目の向けたくないところに目を向けざるを得なくなるという内容が殆どなのです。
悲劇の場合であれば、その目の向けたくないところに目を向けたが向けない道を選ぶことにより不幸へと突き進み、喜劇の場合であれば、その絶対に目の向けたくないところに目を向け、その道を進むことによって幸せが訪れるというような感じでしょうか。
つまり、
自分の一番目の向けたくないところに幸せの道がある
というような法則があるように思えるのです。
そして、これは普段の生活でも言えることだなと感じております。
赤面症の自分が赤面症だからと人前に立つことを選ばなければ、演劇の素晴らしさを知ることはなかったことでしょう。
つまり、欠点を欠点だとしか認識していなければ、今のようなに演劇を続けていけたかは分かりません。少なくとも今こうして満足に芝居が出来ているのは欠点をいつの間にか個性と捉えることが出来たからだと思うのです。
このことで言えることは、物事を良いふうに考えれば、今自分が想像してた未来とは違ったものが来るということです。
赤面症を治しに行こうとしてた人間がこのお陰で、自分の一つの才能が生まれるだなんて、その当時は想像もつかなかったことですから。
欠点を欠点と捉えるか、欠点を個性と捉えるかで、自分の方向性が変わる。
私の思う戯曲の法則を考えると、その捉え方でストーリーは変わる。
自分のストーリーを悲劇にするか喜劇にするかはここにヒントがあるように思います。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。