
正しいからと言って真実とは限らない
お芝居を作る上で大事にしたいものは何ですか❓と問われると、その一つに必ずこれが挙げられます。それは、
一見正しいように見えるけれども、実は違っていた
ということです。
これはどういうことかと言いますと、世間の話は一方向で話を聞くと、それが正しい情報だと捉えてしまうのですが、別方向で見ると、今までとは全く違った情報に見えることがあるということです。
例えば、フィクションですが、ある犯罪人を刑事が追っているとします。刑事は正義に燃えて自分の動機に基づいて捜査している。
その刑事の行動や心情を見て共感したのならば、犯罪人を捕まえるのが当然だと考える人は多いでしょう。
しかし、一方でその犯罪人の視点からのシーンが現れた時、人情的にどうしてもやむを得ない事情が生じ、そのために逃げているという状況が出てきた。
この時に、犯罪を犯した人間に共感したのならば、同情する人も中には必ず出てきたりするものですよね。
勿論犯罪ですから法の裁きを受けなければならない。
ですが、人情では計り知れないこともあるというストーリーもこの世の中にはたくさんある。
つまり、物語には表と裏があり、その両面を見ることで本質が見えるということですよね。
ドラマでは、このように、犯罪者と刑事と両方の面を見ることが出来るので、それぞれの葛藤を描く人間ドラマが垣間見れ人間の本質に迫ることができると言えるのです。
ですが、ここでポイントなのが簡単に双方の面が垣間見れる作品作りでは面白くないのです。
片方の面をしっかりと見せて、敵対する人間は、とんでもない大悪党だとした方が、物語としては面白いのです。
そしてクライマックスの時に、その大悪党が実はもの凄く善人だったことが分かったりすると作品としては面白いのですね。
つまり、このように、絶対にどう考えても大悪党に見せる方が、大どんでん返しになるので面白いのです。
因みにこういう時にコペルニクスの地動説の話が出てきますが、この天動説地動説だけでも、400年近く論争があったと聞きます。
それだけ人の観念を変えるのは難しいのです。
ですが、ふと観念反し(かんねんがえし)が起こると、今まで考えていた古い観念は何だったんだというくらい、新しい観念事実を素直に受け入れやすくなるのですね。
この観念反し(観念を急変させること)はここではお話ししませんが、こういうことは新たな気づきを得ることは人間誰でも経験しているかと思います。
ここまで、しっかり分かってくるとこういうことも言えるのです。
入ってくる情報が一方向しか来ない場合は自分のいるところがおかしいと気がつくこと
これは、こうも言えます。
自分をコントロールしようとしてる環境にいる
とも言えるのです。
つまり、今自分のいるところは、偏った環境にいるということがいち早く気がつけるということなのです。
一方向からくる情報は決して間違った情報ではありません。
正しい情報もあります。
しかし、ここで重要なのは、正しいことを言っていても、その発する動機が正しいものがどうかということなのです。
ここが理解できなければ、人の心を動かすことは叶いません。
言っていることは正しい。
ですが、何か動機に違和感を感じる人があまりに多いのです。
こういう方々は人をコントロールしたいという動機があるのですね。
「こうして欲しい」「こう考えるべき」が入っているのです。
これがあると、人は無意識に感じ取り、違和感を覚える人や窮屈に感じる人が出てくるのです。
この人、なんか嫌だな……と感じるのは、そういった無意識の部分を取っている場合があるので、大体間違っていないのです。
と言いますか、今の世の中にはそういう感覚をより大事にした方が良いのだと思います。
また、正義を主張して人をコントロールしようとする人は、そこが分からないのです。
動機はしっかりと伝わるということを。
それが分からないから、自分の主張が聞き入れてもらえないとなると、理解できない愚か者とレッテルを貼ろうとする。そのように映るのです。
そしてそれが無理からコントロールしようとしているのがこれまた伝わるから余計に溝が深まるのではないでしょうか。
自分が間違っていないと思っているのであれば、自分の考えを述べれば、それだけで伝わるものです。
それをどう聞くかは、聞き手に委ねるスタンスでいれば良いだけだと思います。
それが聞き手に対してのリスペクトにもなっているので、そうなると当然、聞き手も受け入れやすくなるのですよね。
人をコントロールしようとしている人は聞き手にリスペクトがないのです。
だから、そういう人に対して聞き手はどこか馬鹿にされたような不快感を覚える人も出てくるのではないでしょうか。
また、違う視点から申し上げます。
人を疑ってはいけないと昔から教育されてきた人には抵抗のある言葉かも知れませんが、疑うことで逆に本質が見えてくるものもあるのです。
疑うというのは、簡単には信用しないということ。これは悪いことではありません。
寧ろ、簡単に信用する世の中はどうかしているのです。
肩書が凄い、著名人、有名人だからで、信用することはとっても危険なのです。
そういう方々は影響力を使って人をコントロールする人なのかもしれないからです。
後は、正しいことを言ってコントロールする人も疑った方が良いでしょう。
例えば、プライバシーの問題で、やましいことをしていないなら隠す必要ないではないかという意見があります。これは正しいように聞こえます。
ですが、プライバシーというものは守るものであって、そもそもそういう問題ではありませんよね。人権の問題ですので、そもそも踏み込めるような論調はおかしいのです。
ですが、これは、プライバシーを守れと言っている訳ではありません。
そこが分からなければ、真相を掴めないこともあるからです。
そこに調査と捜査の差があるのだと思います。調査ではプライバシーに踏み込めない部分でも、捜査ではプライバシーに踏み込める。
つまり、正しいことではあるが、それは一部正しいことであって、全体的に見れば正しくないこともあるということ。
お芝居では、こういう動機の作り方をよくするのです。
ですので、台本を読む技術を身につけると、世の中で、「誰がミスリードしているのか」とか「誰が真実ではないことを言っているのか」というのは簡単に分かります。
また、動機は身体動作にも出やすいので、そういうところも俳優は研究します。
こういう仕草をしているから嘘を言っていると巷でも言われますが、そういうレベルではなく、会話の間であったり、声に若干変えることで表現することもあるので、仕草だけではないのです。また仕草だけだと説明的な芝居になるので表現としては避けるべきとk路でもあるのです。
これは無意識を意識化する俳優の練習法ですので、こういうのも知ると色々人間が分かってくることもあり、演技の深みが分かるかと思います。
つまり、役者は役の人物の動機を表現すれば、観客の皆様に伝わりやすいので、上記の練習に励んているのです。
動機は伝わるものなので、動機を表現することが自分に真実性をもたらす演技術になるのです
もしも、人をコントロールしようとする人の動機を表現するのなら、人に自分の理論が正しいと訴えることをすれば、人をコントロールしようとする動機が表せるのです。訴えれば訴えるほど、コントロールしようとする動機が現れるのですから。
人をコントロールしようとは考えていない人は、自分の主張を淡々と話しても良いのです。どう聞くかは、聞く側の問題で、そこが分かっている人は、客観的なものの言いかたが出来るはずなのです。
そうなれば、聞く側の立場も考えて話をすることも出来るので、聞く人の理解が得やすいということも分かるのではないでしょうか。
最後に、私自身の役者の戒めを・・・・
役者は表現しようとすればするほど、周りが見えなくなる。周りが見えないから共感を得られなくなる。そうやってエスカレートしている事にも気がつかず、舞台と客席の距離が一層はなれていく。役者がもしも今を生きることが出来たならば、常に周りを感じることになる。今生きている。そう感じ、その時にはじめて紛れもない真実性が現れる。自分が舞台に立っているという真実が。役の人物を介して自分を表現する極意

さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。