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今の世の中、おかしいと思う人は多いはず。

ギクシャクした社会。

対立が対立を生む。

どうしてこんなことになったのでしょう。

私は兵庫県に住んでますが、はっきり申し上げて私はもう今の情報社会にうんざりしています。

っと声を大にして言いたい。

対立させてどうするのでしょうか。

昨今の報道やSNSの情報を見て、もう明らかな情報操作をしようとする動機がありありと目につきます。

勿論、その方々にはその方々なりにも理由があってのことだとは思いますが、世の中に不快な思いを共有させてどうするんだという情報も残念ながら中にはあります。

いつから日本はこういうことになってしまったのでしょうか。

これからのご活躍される子供たちの世代のために私たち世代の大人はより良い社会を築き上げているのだろうか。

そう感じているところであります。

日本は元来、色んな意見があっても、和を重んじていた社会だったかのように思います。

もちろんそこにも問題がなかったわけではありません。

ですが今の世の中は、敢えて争いを生み出しているようにさえ思えてきます。

争いが大きくなると注目度が上がりますので、人が当然集まりやすくなる。人が集まるところにお金が流れる。

ですから、それもやむを得ないことなのかもしれません。

ですが、そういうところに建設的なものの考え方があるかと言われればどうでしょうか。

ますます混乱しているのではないでしょうか。

批判ではなく、重要なのはどうやって対立する意見の方々と手を取りあって協力し合えるのか、そういうところを私は微力ではありますが目指していければと思います。

昔、聖徳太子の制定された十七条憲法には『和を以って貴しとなす』とあります。

これが日本人の心であって欲しい。

そう望みます。

ある料理人の方がこうおっしゃっておられました。

お料理一つにも、日本という国は本当に素晴らしい国だと感じさせますよね。

言葉で思いを馳せる

おそらく日本語には、現代の私たちには、分かりえない言葉の深い意味があるのだと思います。

どうして私たちはそういう素晴らしいことを知る機会が失われたのでしょうか。

それは分かりません。

ですが、昔から教わったことがどこかで途切れてしまったと考える方が自然だと思います。

古くからの教え。

今となってはもう想像することでしか実践することが出来ません。

ですので、これからの世の中に必要なのは、この世の中に生きる人々の想像力が鍵となってくるのだと思います。

想像力はモノを想像するエネルギーです。

自然界では物は破壊さえる方向に進みますが、人間の頭の中はモノを組み合わせて大きな構造物を作る設計図をつくることが出来る。

演劇作品もそうです。

演劇は話を考える作家から始まり、その中に登場する人物を演じる役者、舞台美術を作る裏方、音楽を奏でる作曲家、灯りを作る照明家、その舞台を取り纏める演出家、そしてその演目を制作する事務方と他にも多くの方々が携わっています。

この一つのことを作る上げる際に、お互いがお互いの主張だけを言い合っては良いものが作れません。

勿論、問題は沢山ありますが、お互いがお互いを尊重し合い、相手のために自分が一肌脱ぐという精神を持つことにより、調和が働きより高みを目指す高エネルギーが生まれるものなのです。

作り手一人ひとりがこのことをよく理解しなければ、プロらしくありません。

多くの人間が携わる現場には、それぞれ全員の立場があります。

その立場を一つにまとめることが大切なのにもかかわらず、もしも自分だけの意見を通そうとする人がいたのであれば、その人の考えは浅はかと言わざるを得ません。

それは周りの意見を見ていない行動に等しいからです。

こういった自分の立場でしか考えられないのは「点」でモノを考える人なのかもしれません。

自分の立場を踏まえ、相手の立場もよく理解することが出来る人は「線」で考える人。

そして、その線を沢山つなぎ合わせ、その中心にいる人が、全体を取り纏める「核」で考える人になります。

『核』になる人は、人生を思い通りに生きることが出来るので楽しく生きることが出来る。

何故なら、その一つに、そういう人になると周りからも信頼されるので、自己重要感が自然に上がり、「やり甲斐」「生き甲斐」を見つけやすくなるからです。

そして、これこそが幸せなことだと思っています。

相手への思いやりの心が育まれる。

そのような理想が私にはあります。

ですから、私は、まずは「線」で考えられる人間になることが大切だと思うのです。

相手のことを思い遣るには想像力が不可欠です。

その時に、相手と共に思いやり、高みを目指すことをすれば、それは大きなエネルギーとなって必ず良いことが起きるようになるでしょう。

ですがもしも、この思いやりが一方通行の場合、何れはその関係が簡単に破綻してしまう場合もあるかもしれません。

世の中には距離を取って、上手くいく関係もある。

ですからお互いが思いやる前提がなければ、調和がとれないのでそこは自然にそうなるのかもしれませんね。

「自分だけ」「自分だけ」の考えは『点』で物事を考えているので、それでは根本的な解決にはなりません。

そういった『点』でしか物事が考えられない場合は、思いもよらないところで学びを得ることもあるでしょう。

例えば、目の前に大きな壁が出てくる人は自分に合っている道ではないサインかも知れません。

誰も一人では生きられないということは周知の事実。

ですが、「点」で考えるということは一人で生きられると考えているのかもしれません。

周りの人と協力して自分を活かすことをする。

そのためには自分から周りの人に積極的にかかわることで、理解を得られるもの。

相手の考えていることが分からないのであれば、想像力を駆り立てて、相手に良かれと思って行動することが学びなのだと思います。

勿論、自分の行為が有難迷惑の時もあるでしょう。

ですが、自分のためにして下さったと思えば、誰も悪い気はしません。

万が一、相手が悪い気をされたのであったとしても、それは相手の問題であって気にすることはないのです。

ですがここで戒めなのは、相手が悪い気をしているのはもしかしたら自分に問題があるのかもしれないということも忘れてはいけません。

もしも、そういう悪い気ばかり起こす人が自分の目の前に頻繁に現れたならば、それはもしかしたら自分本人がその目の前の人をそのような人に変化させている可能性もあるということ。

つまりそれはまだ相手との「線」で考える想像力が乏しいのかもしれません。

人を悪く見る前に、自分の行いが相手にどのような影響を及ぼすのかを知る絶好のチャンスだと思って、これからは相手の気を悪くさせないように想像力を働かせるようなことが出来れば素敵ですよね。

私は世の中がそうなれば良いなと思っています。

ですから、まずは自分の周りからそうしていければと思います。共感いただけましたら幸いです。

私たちは想像の設計図の中で生きている。

その設計図は良くも悪くも、自分を作り上げていくものだと思います。

何が真実で何がそうでないのか?

それは誰にも分からないことなのかもしれません。

ですが、

そのような思いで想像力をつけたい。目の前の事に惑わされることがないように。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。さらに、自身のBlog『さいとうつかさの演技力会話力Blog』は1500万PVを超え、多くの方々から支持を得ております。

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