私さいとうつかさは只今、舞台の一線から退き、裏方にまわって俳優養成講座で講師を務め、若者へ演技の指導を主に行っております。
私の経歴は、簡単に言いますと、神戸の劇団に入り、13年間お芝居をさせていただきました。
日本各地や海外でも公演実績があります。
ステージ回数は400回以上です。
私が公に外部の団体に出演させていただいたのは芝居を始めてからおよそ10年経ったくらいからでした。
この時、演出家によって色々な舞台の作り方があるんだということを知りました。
ある演出家からは、作品を作っている稽古の時に、
「演技の基礎はしっかりと出来てはいるが、演技というのものをまだよく分かっていない」
と言われたことや、
「台本の読み方が浅すぎる」「演劇人ならば、もっと歴史を勉強しなさい」
と様々なことを言われました。
芝居を始めて10年。
そこそこの経験も積めていたと思っていたので、自分は十分、外でも通用すると思っていましたが、見事に鼻をおられた感じになりましたね。
明らかに私には知らない世界がある
そう感じたのです。
日本各地で公演もしました。
海外公演にも何回も行きました。
ですが、いつも自分の土俵で戦っていたことに気がついたのです。
経験は多くても、狭い世界にいたということです。それまでは劇団の活動以外でも劇団には内緒で、演劇のワークショップに何回も積極的に行ったりしてたので、自分でスキルアップしてた気になっていたのです。
勿論、その成果は、自分の舞台経験に大きく反映されて、それが自信にもなっていた。
そんな自分が、色々な外部の演出家の先生と出会った時に、私には知らない演劇の世界があると痛感したのです。
それは、言葉の節々に感じるのです。
「今までこんなダメ出しを喰らったことなんてない!」「何言ってるの?」「そんなことどうでも良いじゃないか!」
今まで受けたことものない演出に、不信感を抱くこともありました。
厳しい稽古は数多く積んできたけれど、考えさせられる稽古の数々にとまどっていたのですね。
あまりについていけない自分が情けないこともあり、稽古が終わっても、演出の先生についていき、とにかく何かお言葉をいただけないかとくっついていました(笑)
車で先生の家までお送りすることもあった。
先生のご自宅前に車を止めて、何時間もお話を伺ったこともありました。
この本は読んだ方が良いという本があれば、それも片っ端から読みました。
仏教関連の本を読めと言われて、今では空海、法然、親鸞の本が愛読書になるくらい読みました。
それでも、全く掴めない。
世界が広すぎて、お芝居は途方もない道だと悟ったのです。
こんなの何時間あっても調べきれないよ……
なんで17世紀の西洋の芝居をするのに、10世紀前後からのヨーロッパの歴史を勉強しなければならないんだとか、日本の特攻の話なのに、何故を世界の歴史から見た方が良いのかとか……
精神世界を知るためにまずグスタフ・ユングの集合的無意識の本も読んだ。
しかし、それらが全て演技に反映しているとは到底思えなかった。
逆に何にも生かせていないというのが当時の心にあったのです。
ですが、不思議なことに、そういう文献を沢山調べれば調べるほど、芝居に対しての私の評価は確実に上がっていったのです。
これは、今から思えばとても簡単なことなのですが、
人間ってこれ以上出ません!っていう時が、一番良いパフォーマンスになるようになっているんですよね
これ以上出ませんっていうのは、足掻いた後のことです。
この足掻いた後がとても重要なのです。
この後に何が来るか、それは
どうでも良いわ!
ってのが来るんです(笑)
これは、心理学書を読んでいたのが幸いなのか、このことに気がつくのは意外に早かったのです。
人間って勉強してないと思ってても、潜在意識の中にストンと入っているものがあって、その潜在意識を顕在化して表面に出すの方法が、この、「もうどうでも良いわ!」って時なんじゃないかなと思うのです(笑)
まぁ、これは私だけかもしれませんがね。
つまり余計なことを考えずに、自分を信じてあるがままにということがこうすることで自然に出来ていたということです。
舞台に立つ時に、ああしようこうしようと考えるとそれがダメなんです。
その時になったらその都度考えるというスタンスで十分なのです。
自分はきっと対応してくれると信じて(笑)
とまぁ、バカバカしいお話に聞こえるかもしれませんが、やり残したことはないと考えて舞台に立つことはとても重要なんですね。
これ、何故重要か?
このことは俳優の中でもご存知な方は少ないかも知れません。
これの答えは単純に、「今を生きることが出来るから」なのです。
やり残したと思って舞台に立つと、間違いなく未来を憂います(笑)
また、失敗したら過去に引きずられます(笑)
これが役の人物の動機であれば何の問題もないのですが、役者、つまり自分の動機であるとダメなんですよね。
今を生きている表現って本当に難しく、殆どの俳優が未来を憂いているのが現状です(笑)
こんなことを言ったら怒られそうですが……💦
それはさておき、つまりここでは何が言いたいのかというと、
俳優の演技に対する取組みって、全てにおいて自分を信じる作業
をしているんだなと感じたのです。
演技は嘘ではありません。
演技は作品空間の中に生きる技術
なのです。
その空間に生きていけないのは、演じているだけであって、それは技ではないのです。
ここを勘違いされている演者が本当に多いのです。
本当の世界にいる訳がないんだから無理とかと言っている人は、人間の創造性の素晴らしさを理解していません。
自然界は建設的なものはバラバラに破壊されていきますが、人間の頭の中では逆にバラバラになったものを建設的に組み上げることが出来る素晴らしい脳の機能があるのです。
つまり、ある情報とある情報という個々の情報があったら、人間はその情報を引っ付けて、その合体した創造物を作ることが出来るのです。
「こうであるならば、こうなるであろう」という創造性からのリアリティーを引き出せるということなのです。
先ほどの話に戻りますが、自分にはそのような知識は何も演技に生かされていないと感じていたのですが、それは自分が様々な情報を無意識に取っていて、無意識の中で勝手に処理されているだけなので、自分の演技に反映している事すらも気がつかないだけだったのです。
これって凄いことだと思いませんか。
私はこの流れが自分で体験できたので、その凄い体験を多くの俳優志望の方々に教えたくなったのです(笑)
ですので、私の演技の話はとっても変わっています。
ですが、実践で得られたものですので、これからもそれを信じて教えるつもりです。
まぁ、ここまでは演技を学ぶ上での心構え的な話になりましたが、次に、私が裏方にまわった一番の理由というお話をさせていただきます。