1. 劇的ということ

これは日本の代表作の一つでもある『夕鶴』の劇作家の木下順二さんが30年ほど前に行われていた某講座で、この表題を題名として掲げられてました。内容は割愛しますが、私はこの講座視聴して『お芝居の原点』見たように思いました。つまり戯曲というのは人間の葛藤を描いたもの。その葛藤しているところを劇的として、それを舞台人は如何に表すかということに情熱を捧げるものなのだと深く感銘を受けたのです。それから台本をたくさん読むようになりました。私たちの新人の頃はまだまだ芝居の技術は盗むものという時代でしたので、「役者の知らない」は『恥』と言われてました。「知らないから教えていただけませんか」と言えない世界なのです。

また、仮にそういっても教えて下さる人はいませんでした。それは何故だと思われますか? ご存じかと思われますが、『教えようのないものだから』というのがどうやら答えなのです。時間をかけるだけでなく、本人が心の底から知りたいという気持ちがなければ見えない技だからです。

以前、中国で観劇した時のこと。芝居のお師匠さんとご一緒して観に行ったのですがその時、私にこう言いました。

『あの芸が分かるのは、この劇場の中ではそうはおらんぞ』

と。そして、ある日、照明の先生に、師匠にそのように言われたことがあるとお話ししたところ、

『その技術が見えるということも凄い技術なんだよ』

と言われたことがありました。つまり「凄い技術は、凄い人にしか分からない」ということなのです。

「この技術は教えられない」

というのではなく、「教えても、見えなければ意味がない」というわけなのです。つまり・・・

『技を見て盗むのもこれまた技術』

だということが分かったのです。色んな台本を読んでも最初の内は全く分かりませんでした。しかし、ある時の稽古で芝居のお師匠さんの話し方にとても違和感を感じたことがありました。『お前はもう先が分かったかのような芝居をしている』 私たちは台本を持っているので、当然、結末が分かっている。だから、当たり前のことを言っているのですが、次の言葉に衝撃が走ったのです。

『ストーリーは先が見えないから面白んだ!』

これはつまり完全に「お客様目線」で言われているのです。その時、何故か「劇的ということ」を思い出した。人間の葛藤を表す時に必要なのは、自分が葛藤に追い込まれるポイントを境に人生が変わるということ。

つまり、ハッピーエンドで終わるなら最初はアンハッピーな方が良い。アンハッピーエンドで終わるなら最初はハッピーな方が良い。という独自の考え方が芽生えたのです。先が分かったかのような芝居をしているというのは、セリフから感情を作ると「流れ」が見えてしまい、結末が予見できるようになってしまっていたということ。台詞で感情作ると、裏腹な感情が作れなくなる。

『口ではそう言っているけど、本当は違うだろ!!その登場人物がそれを本心で言ってるとお前は思っているのか!!

私には見えていないものがあった。明らかに見えていないもの。それが・・・

『役の人物の動機』

それが分かりだしたのは、木下順二さんの言われた「劇的ということ」という点と師匠に言われた「セリフを追うな」という点が繋がった時でした。簡単に分かりやすく言うと、

悲劇の場合は、そうならないようにそうならないように生きているが、どうしてもその悪い流れから逃れられず、そうなってしまった人生模様をお客さんに観ていただくことが重要で、喜劇の場合は、どうしようもなく絶望的な状況でも希望を持ち続けて生きていく中で一つの小さなきっかけから幸せをつかみ、段々と大きな力となって好転していくという人生模様を見ていただくことが重要だということ。

これをベースに考えれば、場所場所の感情的なセリフに捕らわれず、登場人物の動機を探り当てることが出来る。という方法を見つけ出したのです。この方法を見つけたとたん、その作品がとても立体的に目の前で見えるようになりまりました。そのイメージから話を組み立て仲間に話をすると、

「台本には書かれてないのに、よくそんなイメージが出来るね」

と徐々に私のイメージ法が重宝されるようになったのです(笑)

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