今の現状に満足していないと人は色んなものを変えようとします。
ゴールに向かっている時に結果重視の考え方になるとよろしくないのが私の考え方なのです。
結果重視の考え方は、自分を置き去りにする可能性が高く、結果と自分の実力の差を埋める努力に走ろうとします。
「今のままではいけない」として自分を変えようとする。つまり現状の自分に満足していない考えで動いてしまう。
そのような考え方になると物事を取り組む継続が難しくなるのです。
結果重視だと結果を残せなくなるということがあるということです。
例えば、お芝居の稽古をしています。
この時に、誰かがセリフの言い間違いをしたとします。
そうすると、その間違いを当然指摘されます。
そしてこれもまた当然ですが、良い間違いを直したら済むだけの話です。
しかし、ここで少し立ち止まって考えたいのです。
どうして、セリフを言い間違えたのかということを
ここにあまり重きを置かない人が多いのです。
何故か、
それは、
『言い間違えをした人が、しっかりと台詞を覚えてこなかったから悪い』
というように、個人の問題だとしかとらえていないからではないでしょうか。
これは直せば済む話という結果重視の考え方です。
しかし、こういう考え方をしているということは裏を返せば、
『だから、自分も人様にご迷惑をかけないようにしっかりと覚えよう』
というようになり、
『want to』(したいこと)→『have to』(しなければならないこと)
という風に結果重視の考え方を変更していると言えるとおもうのです。
では、私が『 どうしてセリフを言い間違えたのか』ということに、大きな問題があると考えるのか?
その理由は
『もしも、そのセリフが自分にとってとても大切な台詞だと思えたなら、果たして、そのセリフを言い間違えていたのだろうか?』
と考えているからです。
重要なセリフは間違えません。
しかし、自分があまり重要ではないと思えると台詞はやはり言い間違えが増えたりする傾向はあります。
大事だと思えず、意識の及ばないところの台詞は軽視しがちになるのです。
そして、このさして重要ではないところを周りから指摘されるとどうなるかというと、
人情としては、
「そんな、細かいところ指摘しなくても……」
と、そう思ってしまうこともある。
そして、これがエスカレートすると
「あなたも間違ってるじゃない」という雰囲気になり、
稽古場が剣呑な雰囲気になる怖れも発展してしまうこともありうるのです。
自分の言い間違いを『責任問題』のように扱い、次、間違えると、また言われるのは嫌だからという意識で「セリフを覚える」という考え方で作業をしている……
これは、頑張ってするセリフの覚え方ですよね(笑)
こういう覚え方は、私の経験上とってもしんどいのです(笑)
さらに、他にも言い間違いがないだろうかと、タスクが途方もなく多く見えたりもするので、
直す前から、疲れるのです(笑)
だから根気がいるのです(笑)
また、
そういう根気を使って努力をしているから、周りの言い間違いにもとても敏感になってきます。
仮に誰かが言い間違えをしてるのを見ると、
「あの人、いっつもあそこでこういってるよな~」って、
気になって仕方がなくなるのです(笑)
自分がそういう風に見てしまうと、そう思われるのは嫌だから、余計に指摘されない努力に走ってしまう。
まさに負のスパイラル(笑)
なんとも労力のいる取り組み方をしてしまうのです。
何度も言いますが、経験上の話です(笑)
つまり、
指摘されたくない努力に走ると、目的を見失った状態で疲れてくる
のです。
なんのために頑張ってるかというのが指摘されないためという動機で動くと
楽しいことをしているという動機ではもう動けなくなってしまっているのです。
言わば、
『苦行』
となっているのです。
指摘されるのが嫌だということは、間違っている自分を許せないという考え方になっている。
つまり、間違わない条件付きの自分でないと許せなくなってしまうのです。
これは、自分を否定している考え方です。
「こうあらねば」と思う心が練習して間違わない自分を作ろうとしていて。毎回根気を要する。
しかし、これは暗に現状の自分を否定しているからこその行動ではないでしょうか。
こういう風に自分を否定し続けるような考え方で物事を続けていけば、
遅かれ早かれ、いつかは目的を見失い、頓挫するのではないでしょうか。
そうではなく、
言い間違えた台詞は、それほど重要なセリフだと思えなかった。ではどうして重要なセリフだと思えなかったのだろうか?
そこが本来の答えです。
そこには、実はとっても深~い深層心理が働いているのです。