
私たち演劇人はいつまでこの停滞を続けていくのでしょうか。今の演劇ではいけない。そう思う演劇人は多いと思う。けれど、私が始めた頃と今の演劇は必ずしも発展したとは言えない。むしろ、停滞していると言っても過言ではない。世間から段々と見放されている。そう思うのです。
様々な娯楽コンテンツが増える中、演劇は益々選択肢から外れている。あの映画でさえも現状は厳しい世界だということも聞く。一番の理由はいつでもどこでも見られる携帯の存在ですよね。世の中はより便利になっている。ただ、観るだけであれば、携帯でも娯楽が楽しめる状態になった。
このことが良い悪いは別として、上演期間は決まっているけどいろんな時間に観に行ける映画から、いつでも観れるポータブルデバイスに代わっているのです。
そう考えると公演期間が決まったところで、しかも一か所でしか観られない演劇というのは、普通に考えれば全くもって魅力を感じないものへとなってしまった。ですから、よほど何か目当てに行くのでなければ、観に行くことすらありえないのです。有名人が出ている演劇ならまだしも、誰が出ているか分からない。作品も面白いかどうか分からない。本当に内輪だけのコンテンツに演劇はなってしまっている。こういう流れを作ってきたので、今や、世間一般の皆様の前に、SNSなどで演劇コンテンツ自体がお目にかかることもほぼなくなったのではないかと思います。
先日とあるアンケートで10代に演劇の観劇をしたことがあるかという問いに、観たことがあるというのは4割ほどで、観たことがない方々が半数以上いるというがありました。意外に『観たことがある』が多いんだなと率直に思いましたけれど…(笑)
観たことがない主な理由は、他のコンテンツよりも値段が高い。演劇が面白いかどうかも分からない。誰も知らない人が出演していて見たいとは思わない。そもそもそういう演劇をやっていること自体知らない。時間を作ってまで劇場に足を運ぶことはしない。など至極当然の答えが並んでました。
つまり、エンターテイメントはより身近になり、観たい時に観られて、観るのをやめたい時はいつでもやめれてという、自分の都合で楽しめるものでなければ、わざわざ不便な方向に楽しみを寄せることはしないということです。
ですから、同じエンターテイメントの土俵で戦うと演劇は必ず、淘汰されるでしょう。だから、現代の演劇界隈は、お客様を知り合いでカバーすることに向かったのだと思います。
それで起きたことは、何かというと「質の低下」が起きたのです。言い方はよくありませんが、面白いものでなくても、付き合いで観に行くという慣習が出てきたのですね。そして、本来の道から段々と外れていったように感じるのです。本来の道とはかけ離れて、何の技術のない人間が舞台に上がるということがまかり通ってしまったのです。
舞台はいつの間にか観客のためではなく、出演者のためのものになってしまった。これも言い方はよくありませんが、お金を出せば舞台に出られるというものです。つまり演劇のビジネスは、出演者の需要が圧倒的に多くなり、その供給がビジネスになったのです。こうなるとお客様が出演者になってしまって、また、観客相手のビジネスではなくなるので、低予算にする傾向になります。例えば、出来るだけ稽古期間を短くしたり、舞台セットは出来るだけ最小限にしたりする。つまり、形の上で、出演者が舞台に出られたら良いレベルのものも現れました。
このようなビジネスになると、芝居経験が全然なくても、チケット買取とかでお金を出していれば、観客が入ろうが入らなかろうが、運営側は関係なくなるので、演劇のあり方がすっかり変わってしまったのですね。
そもそも、作品の稽古だけで芝居ができるという常識がある事自体か本来はおかしなことですし、どの商売でも技術があっての対価をいただくのが本来の形なのに、それが演劇ではもう無くなっている。
さらに、あまり時間かけずに作品をするなら朗読をしようという流れに見えたりもする。これは別に批判している訳ではありません。ただ、本当にそのような流れであったならば、それは本当に世間の皆さまに受け入れられる流れになってるのでしょうか。
私たち演劇人は、やはりそこを考えなければいけないのではないかと思うのです。
知り合いだけで、公演が成功出来ている団体であれば、それは良いのかなと思います。
ですが、よく考えてみると……もしも、本当にそれで良いのであれば、さらなる発展のために、知り合い以外の舞台も観に行ったりする行動があっても良いのではないでしょうか。
芝居はしているけど、他の団体さんの芝居は観に行かない。演劇界隈の中でもこういうことでしたら、私たちは本当に面白いと思って舞台を提供しているのでしょうか。知り合いだから観に来てくれる。その上で成立しただけなら、それはお互いが、ただ舞台に出たいだけの集団ではないでしょうか。
もしそうでしたら、演劇が世間からより離れていくのは道理にかなっていることだと思います。
でも本当は演劇ってもの凄い力があるんです。それを知らないで、舞台に上がっている人が本当に多い。そういう今までの常識を根本から変えたい。
僭越ではありますがそのように思っているのです。
まず、演技練習をしないなんて本当にありえません。お客様軽視です。そもそも、あなたの魅力はどこにあるの?磨いてるの?っていう人が舞台に上がってはいけません。
よそ様の劇団ではなく、これは私たちの劇団ルールです。
ブルアに降板者が多いのは、そういうところが厳格化しているからですが、そもそも舞台に上がるという気概が感じられない役者も本当に増えました。劇団にいたら役が貰える。そんな甘えは、ブルアでは通用しません。そんな役者をお客様のお目にかけたくはないからです。
でもこれが本来は当たり前じゃないですか。こういうことを言うと今の時世では…というのであれば、私は今の世の中の方がおかしくなっていると断言します。
お料理屋さんで美味しくなければ、普通に次はいかないですし、すぐにつぶれるような商品は二度と買わない。誰もが普通に選択していることだと思います。
私たち、演劇人も絶対にそうなのです。面白くなければ次はないという覚悟で作品創りするのが当たり前になって欲しいのです。
私は芝居が好きだからという役者よりも、お客様に良いものを魅せるという役者が良いなって思います。何故なら、芝居が好きだからって条件付けで芝居をして欲しくないからです。
どの仕事もそうじゃないでしょうか。その業務に取りかかることによって次第に愛着が生まれる。その行動そのものに愛を感じるから、好きとか嫌いとか、そういう概念だとまだまだ甘いと感じるのです。
俺なんでこれやってるんやろって言いながら、それでもやっている。そして、練習して自己研鑽することで、こういうことしてる時点で、自分の内なる価値に出会えて、そこに愛情が芽生えるものではないでしょうか。
そこまで考えてやらんでもっていう役者は、昔は本当に多かった。酒の席で、「さいとうちゃん、あそこでちょっと目を合わせてるんやけど、気づいてるか?」っていう先輩がいてて、そんなことしてもお客様には分からないよと思っていても、それで良いんですよね。
本人がこだわることで自信をそこで芽生えさせているんだから、それは正しく愛情なんですよね。
だから、変な話ですが、そういう先輩は芝居の公演はどうでも良かったりするのです(笑)
こういうと、先ほどの話とは全然言っていることが違うように感じるかもしれませんが、手放すことで、執着がなくなり、実はもの凄くありのままの表現に向かいやすくしてるんです。
役者って本番になるとスケベ心がどうしても出るんです。けれど、稽古の段階でスケベ心出してたら、本番では嫌味がなくなったりするんですよ。むしろ、自然に見えるくらいに(笑)
あれはズルいなって先輩の芝居見てて思いましたね。
でも、本当にそうで、本番どうでもいいって思っている人ほど、一番稽古に忠実な状態で舞台に上がってるんですよね。カッコ良い言い方をすると信念のある芝居になっているんですよ。だから魂が宿りやすいのかな。
こういう役者は年間数本くらいしか出演されてない役者さんではあまり見たことがありません。
それだけ、本番で変えてくる役者は多いんですよ。変えない役者は、変える必要がないと心の底から思ってるから、揺るぎないんです。だから毎回人の心に打つんですよね。
舞台はテレビに出ていない人なので、有名ではありません。だから現場にいなければ、こうした名優には現場でないと出会えないのですよね。
ただ、そういう名優は実は多いんです。それだけは知って欲しいなって思うんですよね。それがわかると謙虚になれますから。
ただ、こういうことを記しても、今の演劇をおやりになる多くの若者の目には止まらないことも何となく分かってきました。だから、この話は、今の演劇ではダメだと思う人の目に留まればと。

さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。
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