これは、実はとっても深い話なのです。
台詞を話す表現者側は奇麗に話したいと思っているので、とっても台詞の話し方にこだわります。
しかしそれを聞く側の観客は、奇麗に話してもらうことがニーズではありません。
もちろん、分かりやすく話してもらう方が断然良いし、奇麗な方が心地が良いのかもしれません。
しかし、お客様の真のニーズはどんな話になって展開していくのかという展開力の方が重要なのです。
自分の感情を上手く表現できればそれで良いというやり方の人もおられますが、一番重要なのは
効果的に表現をみせることの方が重要
なのですね。
寝ている人にどんなに良い芝居をしても見てはくれません(笑)
まずは大きい声を出して起こさないといけませんよね(笑)
いくら素晴らしい表現をしても、お客様にとって関心が寄せられない展開にしてしまうと見てもらえなくなるのです。
客席は暗い所です。座り心地も良いのです。
そんなところで興味がなくなれば上演の音は心地よい子守歌になる
のです。
ですから、興味を持っていただくようにもっていかないと、
上演中に寝たら失礼だと思っておられる良心的なお客様にとってはとても過酷な時間になるのです。
そして、これは本当に残念なことですが、
折角お越しいただいて、お金まで頂いているのに、さらに過酷な時間を強いられる芝居は少なくはありません。
ですので、
表現するスキルにウェイトを置きすぎて、どのように見ていただくかという構成力がもっと必要になるのですが、
ここにウェイトを置いている人は本当に少ないのです。
例えば、
稽古をしている時に、出番でない人が前からずっと見ていないのは、自分の出番以外に関心がないと言っても良いでしょう。こういう意識の低さも芝居に表れます。
共演者が興味ないということは、そんな芝居に魅力はありますか。自分の演技に役に立つ情報がたんまりあるのにそれを見ないのはあまりに勿体のない話です。
少々きつい意見ですが、共演者が誰も見ない稽古は本当に品質が悪くなる原因になるのです。纏まりもなくなりますし。良いことはありません。
もう一つ構成力にウェイトを置いていない例を挙げると、
稽古の時に、「寝るのは失礼」ということ
これは寝るのが失礼だと言っているのではありません。
寝てしまうような稽古をするなということです。
しっかりと練習してきているかどうかは実は構成力で分かります。
手前味噌で、稽古の時に頑張っても自主練していないことはすぐに分かります。
読み込んできたならば、ある程度分かることであったりするのですがそれが見えなかったり、
前回の稽古を理解していたようで理解していなかったりと。
これは、稽古をやってても本当に時間の無駄で、セリフを合わせるだけなら演出は要らないのです。
演出は、俳優の持ってきた答えを見て勝負している訳です。
その答えも出さずに、無難にこなしている稽古には断固として「NO!」を突きつけなければいけません。
だから私は寝ます‼
意識が低すぎると私は怒鳴りはしません。
私の先生は、意識が低すぎる行動を許しませんでした。
私の場合は物凄く怒られました‼
『お前‼ワシの貴重な時間を返せ‼どないしてくれるんや‼‼』
と詰められたこともあります。
今では絶対に出来ない叱られ方ですが(笑)
その時は本当に真剣に怒ってましたね。
怒るのと寝るのとどちらが楽かというと、
私の先生の方が絶対にしんどいと思うんですね。だから私のやり方はとっても薄情なのかもしれませんが、
稽古で手を抜くのは本当に許しませんでしたので、今でもトラウマになっています。
そういう経験もあるからか、演技プランのない抜け殻の稽古には本当に違和感があります。
そのどうしようもない怒りを向けたくはない思いで、目を向けないという選択をしているのです。
もっと臨機応変にと思われるかもしれませんが、
私には、良いお芝居を作る責任と、後進者の俳優を一人前にする責任があるので、
私は、ずっと待つことを選びました。公演では失敗はいけませんが、稽古での失敗は大目に見ることにしています。
自分の演技を持ってくるまで、粘り強く待ちます。
ですから、私の稽古は、途中から稽古ではなくなり座学になるのです(笑)
心の置き方について話します。
何故稽古をしないかというと、
そのような稽古をしても意味がないからであって、
お客さんのニーズとかけ離れてしまうものを推進してしまうからなのです。
何回も反復練習をして演技を磨くことはとても大切です。
いやそれが一番大切なのです。
だのに、何故稽古はあまりしないのかというと、
稽古では、もっと養わなければいけないものがあるからです。
その養わなければいけないものとは、何かというと、
お客さんがどう見ているのかという受信確認をしないといけないから
なのです。
自分の実力が半分ほどのパフォーマンスで見ている人がどう感じるだろうか?なんてどうでも良いですよね(笑)
自分の実力を出し切って、その上で前から見ている人からどういう風に見られているのかが気になるのですね。
つまり、
自分の実力が十分でないのに見てもらっても意味ない
という気持ちを自分自身で作ってしまっているのです。
こういう稽古をしていてはそれは絶対に面白くなくなります。
稽古がつまらなくなる原因は「誰にも見てもらえないこと」
それに、今の自分はまだ十分に考え切っていないから今は見て貰いたくないという複雑な事情を抱えてしまうと
稽古はさらにつまらなくなるのです。
これは、私の経験で物を申しております。つまり私はこうして自分で稽古をつまらなくさせていた時期が過去に幾度もありました。
だから、この内容は誰もせめている訳ではありません。
もし仮にこういう感じが自分にもあるというのであれば、一刻も早く立ち回って欲しいのです。
稽古は常に一発勝負だ
だから私は最善を尽くす。分からなければ、稽古前日までに聞いて、自分で納得したものを必ず出す。
間違っても良いから、自分が納得尽くですべて勝負するんだ
そういう気概でもって、稽古に臨めれば良いのです。
稽古を一生懸命にするには、それ以上の見えない練習がいるということなのです。
その見えない練習が反復練習です。
何度も何度も繰り返し練習するのです。身体に覚え込ます練習だけでなく、他力が働くくらいの練習が必要になるのです。
それはお金をもらう以上は絶対にしなければいけません。
そこに俳優としての価値があるからです。
そこまでやってきているんだというのは見ている人にも伝わるものです。
自分の心に嘘はつけないので、それを心底やってきたと思わなければ、その気概は生まれません。
厳しいことを言っているようですが、そういう選ばれし人が舞台に上がって欲しいと願っています。
社会にとって演劇は必要なのか?
そのカギを握るのは、私たち演劇人の取り組み次第ではないかと考えております。
つまり、稽古を真剣にやるカギは自主練に外ならず、稽古で一生懸命なっても意味がないのです。
では、稽古とは何ぞや?ってことですが、
これは先ほども申し上げた通り、
『お客さんがどう見ているのかという受信確認をするところ』
なのですが、先ほどの悪い例で言うと…
演出が寝てしまうということは、そういうパフォーマンスだったということが分かるわけですよね。
では、どうしてそう言うパフォーマンスになってしまったのかということを考えた時、
お見せしようという気概がなかったから無難になったのかとなるわけです。
では、自分は分からないなりに、こうだという意図を持って自信を持って演技をすればどうなるのかという
勝負する心
が必要になるのです。
その勝負する心で臨まないとしっかりと見ている人の心情を分かることが出来ないのです。
一生懸命にすれば受信する冷静さがなくなるので良くありません。
しっかりと冷静になるためには、稽古で自分はこう動くんだという計算のもとでしっかりと動き冷静に状況を見ることが求められるのです。
演技は出来るだけ冷静になっているゾーンですることが理想で、それはお客様の心情が手に取るようにわかるからできる芸当でもあるのです。
感情を思いっきり出して、周りを感じることができないというような芝居ではいけないのですね。
感情も出すのではなくて湧き上がるようにしっかりと計算してスイッチを入れることをすれば、自然に感情が湧き出すので身体動作から感情を教えてくれるのです。このようにするためには限りなく冷静にならなければできませんので、演技は自分にとっても冷静にしなければいけないのです。
この冷静な自分をまず作って、その上で、自分の構成してきた演技をして、見ている側の反応を注意深く感じ取る。これが理想の稽古への取り組み方です。
稽古は演技の答えが外にあるというような練習ではいけないのですね。答えが自分の外にあると思うから、思い切った演技が出来ないのですね。
ですから、稽古は演技の答えは自分の内にあると考え、そのフィードバックも感覚で覚えるのです。
こうすることで、役に人物を深めていくのです。
そして、見ている人の感覚が段々と分かってくると
今、息をのんで観て下さっている
ということも感じるのです。
場の空気が真剣になってくると
劇場全体が息をしなくなってくるのです。
ですから、咳払いもなく限りなく集中した空間になるのですね。
空気が重い状況というのは、集中するであったり考えたりすると自然と息が止まってしまう状況になるのです。息をするのを忘れるくらいに集中しているので、それを俳優はしっかりと感じ取れなければいけないのです。
そのしっかりと観て下さっているということが分かれば、
それが「お客さんを味方に出来た」というサイン
になるのですね。
こうなると後は、
お客さんに背中を押していただけるような演技が出来るようになる
のです。
これがお客さんのニーズに合った芝居が出来た時の感覚です。
この感覚を経験された人は、
劇場空間が一つになった
と表現される方が多い。
それは、
お客さんも舞台の成功を願っていて、お客様と作り手が一つの作品に共感する瞬間なのですね。
こういう雰囲気になれば、舞台は絶対に失敗しません。
つまり、こういう感覚に持ってくるために
お客様と常に会話をしているような演技をしないといけないのですね。
俳優は、演じることによってお客様とコミュニケーションを図っているのです。
そのコミュニケーションが上手くいけば、
劇場が一つになったと感じることが出来るのです。
では、最後に、
どうすれば、劇場のお客様と上手くコミュニケーションが図れるのですかということですが…
それは、
話の展開で「何故」をたくさん作ること
なのです。
「この人はどうしてこういう動きをしているのだろう?」
「どうしてこんなことを話しているのだろう?」
「どうしてそこにあんな変なものがあるのだろう?」
という、何故をたくさん作るのです。
そうすれば、話が進んでいくうちに
「ああ!そう言うことか!」とか「なるほど~そう言うことね」とか「そうだったのか!!」とか
理解できるようになっていくのです。
このようにお客様は、あるがままを見るよりも、どうしてこれがあるのかという
『想像を膨らませる』
ようなアクションがあれば、次はどうなるの次はどうなるのと先を予想しながら見ていくことが出来て面白いのですね。
ですので、
先が分かるような安直な話し方であったり、
説明的な表現は想像の余地がないので、
つまらないのです。
最初はよく分からなかったけど、段々と分かってきて面白かった
これがお芝居の理想的な作り方で、
最初から分かりやすい表現、聞きやすい話し方をするから
先が読めて面白くなくなっている
のですね。
それよりも、
「次どうなるの?次どうなるの?」という
聞きたくなるような話をした方がどれだけお客さんを楽しませているかを意識したいところですよね。
注目してもらいたければ、小さな声で話す
見て欲しいものがあれば、わざと隠す
このように、少し表現を天邪鬼にした方が想像の余地が生まれるのです。
分かりやすい表現をした方がお客様に親切だと考えていたのでしたら、これからはお客様の楽しみを奪っていたんだと考え方を変えて下さい。
お芝居は分かりにくくして、お客さんにたくさん考えていただく方が実はとっても親切なのですよ。
因みに、これは普段のコミュニケーションでも同じです。
話をしている時に相手にいっぱい考えて話してもらった方が、断然相手は楽しいのですよ。
そのような時間はあっという間に過ぎるのですよね。
相手に素敵な時間を提供したいのであれば、是非お試しください。
きっと喜ばれますよ。
不思議なお話でしょ(笑)
最後までご覧くださいましてありがとうございました。
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。