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私の講座や、WSでは、演劇以前の精神論の話をすることが多い。本来ならば、演技を学びに来ているので、こういう話はと思われることもあるかと思う。そういうご意見も大変よく分かります。

ですが断言します。演技には下拵えが肝心で、継続する上で最も大切なこと。前回のBlogでは人を育てることが大切と申し上げましたが、今回は何故大切かをお話しさせていただければと思います。

演技には色んなレイヤーがある

演技というのは「様々な視点から考える」技術があると思っています。

大きく分けると3つ。

1.台本から戦略を立てて戦術を作る演技プランを作る技術

2.自己の情動を表現する技術

3.所作やミザンスを考えた表現技術

他にも細かく言うとたくさんあるのですが、この視点から演技を考えることはかなり重要だと思います。

1の演技プランを作る技術は、経験値がつきますと自然に得られますが、これは結構時間の要するもので、台本の読み方に技術があることを知るのに、私の場合は約10年ほどかかりました。

2の情動を表現する技術は、日本ではあまり馴染みのない演技表現法で、簡単に言うと、演技で心を動かす技術です。日本では演技は表現する技術だと思ってらっしゃる方が多い。

ですが、表現する技術は本当の演技とは程遠いもので、この方法を知りたければ、コンスタンチン・スタニスラフスキーやマイケル・チェーホフ、千田是也の本をお読みになれば理解はできるかと思います。

3のミザンスや所作の表現技術は、講座では一番人気のある演技で、位置取りを考えた表現法であったり、所作を覚えると一番演技を学んだ気にはなるのですね。

私はこの中で最も難しいのは、1の演技プランだと思ってはおりますが、実際に今の人たちには2の方が難しかったりするのかなと思うこともあるのです。

今回は何故、それらが難しいのかという話なのです。

すぐに答えを求める落とし穴

今の世の中、だいぶ昔と様相が変わってきました。すぐに答えを求める人が非常に多く、十分熟慮した考えは、時間の無駄という風潮さえあります。

例えば、この頃の流行文句

「結論から先に言うと」

ですね。これは、非常にスマートな説明法に見えますが、これは多角的な視点を見せない非常に危険なトリック話法でもあるのです。答えを先に言うと、大抵の人は、辻褄を合わせる考えにシフトします。そうすると、他の選択肢が思い浮かばなくなり、その結論を理解することに意識が向くのですね。

これは、演劇的セオリーでもありまして、最初から暗示めいたものを見せておくことにより、話の筋はこちらですよと暗に誘導させる方法が色々ありまして、このようなトリックもその一つなのです。

ただし、演劇の場合では、そんな単純なものではなく伏線があることも演劇的セオリーですので、「実はそう見せしておきながら本当は!」という場合の「そうお見せしておく」という部分で使われる場合が多いのです。

つまり、理解を助けるのに非常に便利な言い回しにはなっているのですが、かなり色のついた情報を持たされることもあるということです。ですから、演劇的な視点で、この「結論から先に言うと」という言葉を常用する人の話を多角的に見るためには、この人は何故、こういうことをみんなに言っているんだろうという「動機」の部分を見た方が実は、その人の真意が見えたりするのです。

話は逸れましたが、自分が勉強をする上での途中の努力って、もう少し評価されるべきなんではないかなと思う訳です。特に技術面を磨くためには無駄な努力は何一つないとさえ言いたいのです。

しかし、これが今の人たちには実はもの凄く難しくなっているように思うのです。一つは学校教育。深く考える教育ではなく、こういうものとして記憶させる教育になっているので、一つのことに深く考えるようにはしていないのです。様々なことを広く浅く学ばせて、知識を得た気にさせている。一番良い例が、英語ですね。This is a pen.を今まで実践で使った人はいますでしょうか。つまり、そういうことです。

知識だけ得ても実際に何の役にも立たないこと。それがみんな分かっていながら、何故こういう勉強をしているのかというところを考える人はあまりいなかったように思います。殆どの方が、これからの進路であったりと考えることが山のようにあれば、一つひとつ考えらえれないのは当たり前ですよね。

つまり、学校は、画一化した人間を育てているということも言えるのです。

考える習慣がなくなりつつある。こうなると、教えてもらった方が早い。そういう風潮になりつつあるのではないでしょうか。感覚を研ぎ澄ますにはまず得たいものに意識を向けて考え抜くことが大切なので、そういった意味で、演技習得は難しいのです。

演技には体育的な練習が必要

どんなに素晴らしい知識があっても、技術習得に欠かせないのが反復練習です。この時に考える習慣のない人は、これが最も大変な作業かと思います。

「何故これをしているのか?」

こういう問いで、目の前の事を反復練習をしていけば、やがて身体の方から教えてくれるのです。

これは正念という考え方です。正しく向き合って事を行えば、心がついてくるということです。

ですが、この心は、なかなかついてきてはくれません。雑念があれば、本能から教わることは出来ません。変な話を言うようですが、考え事が多くてという人は考えてないから次々と変なことを思うのであって、本当に考えてる人ならば、その一念でことを成せるので、考えぐせがなければ、雑念で頭がいっぱいになるでしょう。

本能は、今まで私たち人間が持ってきた生命維持のために必要な能力です。ですが、その本能を正しく使うことが現代人はなかなか難しくなっているのではないかと思うのです。

例えば、私たち俳優は、『伝わる演技』として、人間の無意識なる動作所作を修得するのですが、この過程として、どのような練習をするのかというと、

無意識の動作を意識化して、それを反復練習し、再び無意識下に置く

という作業をしているのです。これはどういうことかというと、実はお客様に『伝わる表現』というのは、無意識の動作が一番伝わりやすいのですが、この無意識の動作は無意識に伝わりやすいのですね。

この説明はここですると相当長くなるので、「身体動作から感情を誘発させる演技法」という記事をご覧いただければと思います。

ですので、ここでは割愛しますが、つまり、この人間の無意識の動作を駆使すれば、自ずと観客に伝わりやすくなるということでその練習をしているのです。

まず、無意識の動作でどういう印象を与えるのかということを知るところから始めるのですが、例えば「伝わる」無意識の動作は無意識に観てしまうので、なかなか見つけにくいものなのですが、そこを知ることから始める。そして知ることが出来たならば、それは意識化できたということで、その動作を反復練習するのです。

そうして、やがて意識せずとも、自然と身体が動くところにまでくれば、その時に、その動きからくる情動が生まれ自然と感情が湧き起こってくるようになるのです。この時に無意識化できたということです。

つまり、本能から本当の感情を教えてもらうような感覚になるのです。こうして、本番舞台では常に本能を呼び起こし、常に生きているという状態に持っていく。

これが真の演技なのです。

日本には武道や、書道など「道」のつく習い事には、「丹田で持つ」といわれることがあります。これは、実際に道具を持っているのは手でありますが、いつしか体の中心で持つという思いになるのです。体の中心になればなるほど、自信は揺るぎないものとなり、浩然の気として、強い人間が育っていくのです。こういう人間は、行動するにあたり、余計なことは考えません。失敗するのではなかろうかなどとは考えません。成功も意識しません。ただ、成ると。

このような人間になることが出来れば、常に今を生きることが出来る本当の仕合わせを手に入れることが出来る。私はそのように信じております。

仕合わせとは、自分の本来持っているものや、目の前のあることで満足するということ。この満たされた気持ちが、他の何にも代えがたい喜びをもたらしてくれる。

舞台の上で、これを感じることが出来るならば、これ以上に仕合わせなことはありません。

この仕合わせを多くの演劇人に体験していただきたい。そのために育てるのです。

この仕合わせを手に入れたいのであれば、この上記の取組みは必須なのです。

なぜ、これが今の現代人に難しいのか。お分かりいただけたのではないでしょうか。

良い教えがあっても、自分の生きる意識が間違っていると手に入れることは難しい。

ですから、こういったことに導ける精神を養わなければ、いつまでも理性に振り回されることになるでしょう。

ですが、演劇の本当の仕合せを感じられた人ならば、間違いなくこのことを後世に伝えたいと思うはず。ですので、人を育てることは物凄く大切なことなのです。