
観劇した時に、「この人、嘘臭い演技をしているな」と思うことはよくあるはず(笑)
劇中にそう思ってしまうと作品の世界に入れないので、本当はそうではいけないのですが、演劇の世界には、そういう現実が実は少なくはありません。
多くの原因は、簡単に言うとまともに演技の勉強をしたことがないからだとは思うのですが、演技とは、文字通り「技術」でありますので、その技術を持った方が舞台に上がることが当たり前なのです。
ですが、残念ながら技術の重みを感じて舞台に上がられている方は少ないように思います。
それが今の演劇の実情で、元気のないマイノリティーな世界になっている原因だと思います。
勿論私も、このことは常に肝に銘じておりまして、常にそうならないように日々演技探究している訳ですが、それでも演技の何たるかを知るところまでは実のところ私も至ってはおりません。
それだけこの演技術は「生涯学習」であるように思います。
決して満足することのない、次々に課題が見えてくるエンドレスな世界。
このような技術探究をしてらっしゃる方でしたらおそらく皆さんそうなのかもしれませんが、世の中の定義というものは、人間の都合上で決めているのであって、本当は定まったものなど何一つなくて、その事象その事象にその都度その都度向き合っているだけのような気がします。
ですから、そんなふわふわした状態であっても、自分の根拠のない自信、つまりある視点を作ってはじめて一つひとつの分からないことに向き合っていけるのだと思います。
そうでなければ理解が出来ないのがこの世界のような気がします。
では、理解をするためにはまず演技の定義をしなければなりませんが、私の場合は、その中に「自分の感情を動かす技術」というものがあります。
つまり演技は本当の自分に出会う作業をするということ。
演技者は戯曲作品の登場人物として生きるわけですが、普通に考えたら違う人にはなれません。
ですが、その違う人を自分に置き換えて考えてみれば、「自分を表現する」わけですから、自分ならばこうだというのが確立されたならば、理論上嘘はないわけです。
究極を言うと自分を表すだけですから、ありのままの自分で良いわけです。
ですが問題なのは、「もしも自分がその立場ならば」というその立場を鮮明に想像しえない場合はどうでしょうかということなのです。
それですと、自分を表現するといっても、その世界に生きていることが想像できていなければ、自分自身の心の中で葛藤するのではないでしょうか。
俺はこの世界に生きてないよな・・・
というように思うはずです。
ここまでお話しするともうお分かりになられる方もおられるかもしれませんが、自分の心の中で嘘がつけないので、自分の中で違和感を感じてしまった時点で、既に嘘の表現だと自分自身が無意識に表現してしまっているのです。
無意識の表現は伝わりやすい。
それは動作からも表れますし、セリフ表現にも勿論表れます。
このことを理解して舞台に上がっている人間はプロの世界でも実は少ないように思います。
それだけ、今演技というのは何たるかがあいまいな状態であるとも言えるのです。
私の理想としては、お芝居の公演の稽古の他にも、演技を研鑽する時間を設けるべきだと思っています。
プロの世界はチーム競技でしたら、個人練習と全体練習がありますよね。
そして多くの素晴らしいアスリートは全体練習よりも個人でやってる練習に重きを置いている傾向があるのです。
つまり、自分の時間で練習するということは物凄く大事なのですね。
私は後進の指導にあたる時に、稽古と練習は違うとお伝えしています。
練習の成果を稽古で試す場だからです。
「何を試すのか?」
それは、自分がその歯車になって相乗効果を与えているかどうかです。
自分一人はこういう感情だからこう表現するんだで止まってしまうと、それは勿論、演技ではありません。
それは演じているだけなのです。
演じているだけの人は本来舞台に上がるべき人ではないのです。
ですが、今の演劇事情はどうでしょう・・・?
それが今の演劇界隈です。
演技というのは人の心を動かせる技術でもある。
けれども、共演者の心も動かせない人を果たして演技者と言えるのでしょうか。
これは私の自戒でもあります。
嘘臭い演技をしている人は私と同じ演劇歴30年選手でも多くおられます。
それだけ、定義に基づいた演技と向き合っていない証拠だと言えるのではないでしょうか。
そういう方が後進の指導にあたられている場合もあります。
昨今は演技は誤解されていると強く危機感を募らせています。
世間で言われるのは全くもって構いませんが、当事者の俳優の意識が世間と同じような感覚で演技を捉えていたのならば、それは問題だからです。
何故嘘くさい演技になっているのか。
それは、
演じようとしている自分が無意識に表れているから
これにつきます。
つまり、役者の動機が見えているからなのです。
本当は作品の中に生きている役の人物の動機を表現しなければならないのですが、そうならないのは、その役の人物が自分の中で想像できないところがあるから、そのような人物に振舞おうとする。
それが、役者の動機へと繋がっている。
ということだけです。
つまり役者の動機が出ている役者ほど嘘臭い演技になるわけです。
演技というのは、見えない技術です。
嘘臭い演技ということは、お客様に簡単に見破られているということ。
しかも嘘臭い演技というのは実は存在はなく、嘘臭いとつくものは演技ではないのです。
ですから、本来の見えない技術を学ぶ必要があるのです。
この見えない技術は、公演の稽古だけとかでは絶対に身に付きません。
正しい知識で練習することが求められます。
そういう意味では、昔から教わる伝統的な練習を踏襲することはとても大事ですので、そういうところで教わることをお薦めします。

さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。さらに、自身のBlog『さいとうつかさの演技力会話力Blog』は1500万PVを超え、多くの方々から支持を得ております。
なるほどネ❗
確かに演劇を9年観てきて嘘臭い演技をしている役者さんを何人か見かけますヨ💧
「確かな演技」を身につけるにはさいとうさんのようなしっかりした理論を持っている人に演技を教えてもらう必要がありますな☆彡
ありがとうございます。
私も若い頃は先生、先輩方から
色々とご指導いただき
どうにかここまで来れたように思います。
教わって実際に自分で確かめてみて
それが出来るようになれば
教え方は変わっても、
演技の本質は変わりませんので
このような経験を積んでいる人とは
共感できることが増えますので不思議ですね。
私自身もまだまだですので
この記事は自戒で
これからも精進して参りたいです。