
台本は読解力が鍵と言われている方がおられます。演劇の世界では「読解力」で台本を読み解くということが主流となっている。
ですが、私、プロの現場で培った経験から言いますと、「読解力」ではないと思っています。
どうしてそう言えるのか。今回の話は役者の演技の精度による話でもありますので、これから、演劇活動したいと思われる方へ届きましたらと思います。
こういう話は、今の演劇人にとってさほど重要に思えないことなのかもしれません。
何故なら、演劇界隈で台本の読み方を教えているところが少ないように思えるからです。台本はどこか役者個人の技量によるもので済まされているような感覚があります。
何故それが言えるのかというと。その答えは簡単で、みなさん同じような読み方をしているからです。
ですが、台本の読み方は物凄く重要で、この読み方を知っている人は、間違いなくレベルの高い演劇の楽しみ方を知っています。
というよりも、台本の読み方を知らないと稽古が面白くないのです。毎回マンネリ化して、同じ世界を繰り返している。
もしもそのようにお感じになられているなら、そういう方々にも今回の話は響く話かもしれません。
ですが、台本の読み方にあまり重要だと思っていない人は多いので、この記事に目が行くこともないかと思います。
ですから、これをご覧になられる方はラッキーだと思います。
プロの演技者の台本の読み方をここで少しご紹介します。
ですが、何故台本の読み方が無茶苦茶重要なのかを言う前に、少し説明しないといけないことがあるのです。
それは、台本は科学的に考えるということです。少し難しいことを言ってるようですが、最後までご覧いただけましたら、きっとご納得いただけるかと思います。
科学的で考える。この対義語は、文学的に考えるですが、台本は文学的に考えるのは良くないのかと言いますとその通りでございます。
よく例えられる話ですが、1+1は科学的に考えると2以外に答えはありませんよね。ですが、文学的に考えると1+1は2でもあると考える。つまり科学的には明確な答え一つであっても、文学的には何通りも答えがあると考えるのですね。これは文学的には受け取りかたによっては幾分にも答えが変わるという考えになっているのです。
ですがここで考えていただきたいことは、演技がこの考え方で本当に作られていいのでしょうかということ。
結局は受け取り方次第だから、私はただこう表現するという、狙いを定めずにただ演じたものにしかならないだろうかということです。
こうなると、演技の質は当然落ちます。
これは演技というものは表現する技術だと思っている人の考え方です。
ですが本当は、演技というものは「人の心を動かす技術」であって、ここを勘違いしてはいけないのです。
つまり、私たち演技者は自分の表現で、お客様がどのようにお感じになるかまで責任を持つということなのです。
この時に、お客様の受け取り次第で感じ方は変わるというスタンスならば、それは、演技者ではなくて演者に過ぎないのです。そして、そういう演者が舞台に立ってはいけないのです。演劇全体のイメージが下がるからです。
演技者としてここは強く認識して戒めるべきでもある。ですから、なぜ文学的に台本を読み解くことがダメなのかはお分かりいただけたのではないかと思います。
そして、一番最初に申し上げました「読解力」。
これが何故いけないのかということですが、この読解力は文学的な考え方で発揮する力だからです。ですから、読解力ではいけない。
しかし、それよりももっと言いたいことは、台本にとって本当に必要なモノ「想像力」に対して支障をきたすからです。
実は、役者の台本を読む技術的な要素には3つありまして、その一つに『想像力』があるのです。
思い出してみてください。私たちは初めて手にする台本を読んでいる時に、こう考えていませんか。「この話の展開はどうなるのだろう」と。これは『想像力』なのです。この想像力があるから、台本を面白く見ることが出来るのではないでしょうか。
ですが、もしもこれを読解力で読むとなるとどうでしょう。既に答えが分かっている状態で、何故、それがこうなったかという辻褄を合わせるだけの作業になりませんかということ。
読み解くということは、こうとも言えます。台本の中に表現の答えがあるということ。
これが「演者」の誤った認識なのです。
ですが「演技者」は知っています。
台本の中に表現の答えがないということを。実はこのことを知らなければ話にもならないのです。
そもそも、台本に表現の答えがあるのなら、役者なんて要りません。いいえ、演劇自体要らないのです。何故なら、台本を読んだだけで事足りるからです。他の介入の余地はないのです。それだけで、楽しみが成立しているからです。
個性的な役者が舞台で立って表現するから演劇は面白いのです。
それが、みんな、台本に表現の答えを導きだしたら、同じような答えになるのは、必然ではないでしょうか。
これをご覧になれば、このバカバカしさはお分かりいただけるかと思いますが、実際に今舞台に上がっている演者はほぼこの状態と言っても過言ではないのです。
過激なものの言い方かもしれませんが、私はこの事も今の演劇の事情だと思ってまして、このような形で警鐘を鳴らしているところでございます。これは誰かを傷つけようとするものではありません。ただ、お金を観客からいただいて舞台に上がるならば、やはりそれなりの専門的知識から考えれて研鑽した演技であって欲しいと切に願っているところでございます。このあたりをどうかご理解いただきたく存じます。
話を元に戻しますが、ですから、読解力というのはいけないという話なのです。
では、演者ではなく演技者はどのように台本を読むのか。この話をさせていただきます。
演技者は、台本を科学的に読みます。科学的にというと分かり難いかも知れませんが、こういうことです。科学の要素は、「実証性」「再現性」「客観性」です。
「実証性」というのは、実際にやってみて上手くいくこと(整合性が取れること)。
「再現性」というのはそのやってみて上手くいったことを何回も再現して確かめること。
そして最後に「客観性」はその実際にやってみて上手くいったことが、誰の目から見ても同じ認識であるということ。
こうして演技表現を構築しなければならないのです。
これは、平たく言うと「つもり芝居」ではいけないということです。「私はこうしたつもり、ああしたつもり」だけではいけないということ。誰の目から見てもその表現が成立しているという極めて精度の高い表現を身につけるということなのです。こうした考え方で台本を読むことが重要なのです。
そしてこの読み方をするのに必要なのが先ほど申し上げた、役者の台本を読む際の技術的三要素なのです。
「想像力」「定義」「劇的セオリー」です。
この三要素の説明は流石にここではお教え出来ませんが、この三つの要素を駆使すれば表現の答えが導き出せる。
つまり、演技の答えは、台本にはなく自分の頭の中にあるということなのです。
これが、あまり知られていないプロの現場の台本の読み方なのです。
これは、昔から教わる現場の技術です。この技を知らない限りは、本当の舞台の楽しみを理解することは出来ません。
しかし、この技術は、教えてもらえるものではなかった。熟練の演技者はみんなこの技術を持っていますが、教えられない技術だということを知っているからです。
なぜなら、後進の役者は先人の演技者の演技を盗むことで学びを得たからです。つまり、喉から手が出るほど欲さない限り、知り得ない技術なのです。いいえ、そこに技術があること自体分からないのです。
人間、見えないものは学べません。見えないものはないものと判断されて、その技術自体を初めから知ることはないのです。
これは学校では絶対に学べない技術なのです。学校は、学ぶ人がお客様だから、そんな訳の分からない見えないものはお客様のニーズではないので教えないし、教える側もそういう技術を知っている先生も実践経験が浅ければ知るはずもないのです。
何故なら今ではそういうプロの現場で年間何十本も舞台に上がれる環境は今ほぼほぼありません。ですから、今はこういった技術修得が演劇経験年数が豊富な方でも難しくなっていることかと思います。さらに言うと、このような技術継承が段々と今の時代に合わなくなり、今現役でこの技術を修得してる人も、かなり少ないのがさらに技術を修得するのを難しくしている要因でもあるのです。
つまり、ロストテクノロジー化しているということです。
ですから、今私の知りうる範囲で、演劇教室、ワークショップ、俳優養成講座とありとあらゆる場所で、現場形式でお教えしているところでございます。芝居の一人前は10年を要す。そういう技術をお教えしているのです。簡単には出来ないものです演技というものは。
それが今や簡単にできるという今の現状の演劇……このことのほうが、遥かに可笑しな現象なのではないでしょうか。間違った認識がまかり通っているから今の現状がある。今の現状だから、世の中の人は演劇を相手にしなくなったのではないでしょうか。芝居がやりたいだけで、誰も観に行きたいとは思わない。こんな現状が少なからずあるということ。
本当は今の演劇人が誰しも思ってることではないでしょうか。ですから、観に行きたいという演劇を作りたい。
そのためには役者の意識改革がなんとしても必要だと考え、何の力もない一演劇人の私ですが、地道に活動しているところでございます。もしもこのことに共感いただけましたら、私の知っている技術を余すことなくお教えするつもりです。
私の活動は、これから何十年も続く意識改革だと思ってますので、ご理解を得ることは本当に難しく、どちらかと言うと、疎まれる方でございますので、届く人に届けるしか道はありません。私の代でも厳しいかもしれません。ですから、出来るだけ多くの後継者が欲しい。それが今の切なる願いです。
今の私の仲間も、その後継者の一人ですが、この活動は、多くの人がいて初めて信憑性が増すので、賛同者を増やすことも、私たちの活動の一つでございます。
今演劇をなさってらっしゃる方が最後までこのお話にお付き合いいただいてましたら、耳の痛い話ではあったかと思います。ですが、共感いただけてるからこそ、ここまでご覧いただけたのではないかと思います。感謝申し上げます。

さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。
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