お芝居の稽古ではダメ出しというものがあります。
文字通り、
ダメなところを指摘する
ことですね。これは悪いことではありませんが、このダメ出しにはそれなりにテクニックが要りまして、悪いところだけを指摘するだけでは当然いけません。
ただ、ダメ出しをして直してくるのは俳優の役目だとして、上手く改善点を提示できない演出が多いように思います。
これは日本独特だと思います。
どうしたら良いかは分からないけど、それではダメだと思う
これでは海外は通用しません。
建設的な会話にならないからです。でも日本ではこういう会話は多いように思うのです。
創作活動は想像することがとても大切ですよね(笑)
この想像力を働かせるためには建設的な話し合いでないと良いものが生まれないのです。
簡単に言えば、気分を損ねた状態では良い想像は絶対に働かないのですよね(笑)
だけども、お芝居の稽古ではこういった想像力を働かせようとする環境への配慮がないことがあったりするのです。
稽古で良いパフォーマンスが出せなかったら、全て俳優の責任だという空気になってしまっていると、それでは稽古がつまらなくモチベーションも下がっていくのはある意味当然だと思います。この稽古の雰囲気を悪くしているのは実は演出の責任であったりもするのです。ですので、稽古に身が入らないのは何も俳優だけの問題ではなく、面白い稽古をしていない演出にも問題があるというわけです。
しかし、このようなことを言うと、各人のプロ意識に欠けているというご指摘もあることでしょう。
ただ、私はそういう完ぺき主義のような考え方では良いものは作れないと思っていて、常にその時その時の最善で勝負することがプロフェッショナルだと思っています。
この条件だったら上手くいく
と考えるのはプロフェッショナルの考え方ではありません。
私は以前、所属していた劇団で学校公演に数多く出演したことがありますが、学校の行事だからやむを得ず観劇しているという生徒さんも当然いました。その人たちに良い作品を提供するには、あの手この手で最善を尽くすことを考えなければ、観る気のない人を相手にしても無理という姿勢ではやはりプロとは言えないでしょう。
ですので、プロフェッショナルであるならば、稽古の段階から、
この手でどう勝負するか?
というところで勝負しなければ、お金をいただいてはいけないと思います。
そうなってくると、俳優のパフォーマンスの向上は演出にとっても大切なことのなので、ダメ出しだけが仕事ではないということが簡単に分かるはずです。
それに、
悪いことを指摘するのは誰にだってできます
だから、そんな誰にでもできるような仕事ではいけないのですね。演出は…(笑)
ダメな部分を指摘しなければいけない時は当然ありますが、
どうしてダメかを伝えて、演技者に納得してもらい、次にどのようにすれば良いのか的確な方向性を持たせることが大切のですね。
この時に、自分は納得していないが、演出の言うことを守らないとと思えば、そこから先は面白い活動とはならないだろうし、それでは、
演出一人がお芝居を作っている
ようなものですよね。
ですから、演出と俳優は飽くまでも共同制作者で、お互いに歩み寄りを図るような稽古作りでないと面白い稽古にはなりません。
これが成されていない演出の独壇場になりますと、
俳優の「やらされている」という演技が大変よく目につくようになるのです
そして
このやらされている演技者が実に多い!
演出の言うことはもっともですが、どうして良いか分からない。
その気持ちがどうしてもあるので、演技をついつい説明っぽくしてしまうのです。
それがやり過ぎの演技というわけなのですね。
演出に分かりやすいように表現し、あたかも「私はあなたの言った通り、こういう風にいしてますよ。」と演技でアピールするようになるのです。
でも、本当は自分の中で気がついているはずです。
演出の言っていることに違和感があることを
演出の言うことは絶対だからとりあえずやってみせるけど、どうもやり過ぎのような気がする。
と、このような心理からくる言葉なのですね。
「やり過ぎのような気がする」と思っていれば当然、やり過ぎに見えます。
人間は腹に思っていることは、無意識に動作で現れるのです。
つまりこれは、
自分に嘘がつけていないから、無意識にあらわれているのです。
自分が心から「こうだ!」と思ったものでない限り、必ずどこかに自分の自信のないところが表れてきます。
このことをしっかりと演出が踏まえないと、俳優の演技がキラリと輝かないことを知る必要があるのですね。
そういう意味で、演出にも責任があるということなのです。
演出は俳優を型にはめようとしてはいけません。
仮に間違った演技をしていても、どうしてそうなるのかを考え、ではどうすれば快く動いてくれるのだろうかという演出であればそこまで考えることが求められると思うのです。
そうでないと、俳優の目の前の悪いところに捕らわれて、将来の俳優の可能性を潰してしまうかもしれないのです。
今は、ここは間違っているけど、稽古を進めていけば段々と俳優本人が気がつくので、その俳優の可能性を信じてあげることが何よりも重要なのです。
そして、これが一番申し上げたかったことですが、
俳優を信じるという演出の態度は、最大のリスペクトとなり、この想いが、演出の言うことを素直に聞き入れるきっかけにもなるのです。
つまり、演出の言うことを素直に聞き入れていない気持ちの問題があって、それで演出の言うことに対して不信感を募らせていたともいえるのです。
これはどういうことを指すのかというと、
演出が俳優に対して信用した態度を示していないから、俳優も演出に対して信用した態度になれないということ
演出が俳優に対して信用している態度で接していたならば、俳優は何としても演出のオーダーに応えるだろうから、演出は自分を見誤ることをしないと信じ、やり過ぎの表現にはならない表現を持ってくるようになるのです。
実は、こうした人間関係の成熟度で創作活動は大きく左右されるのです。
人を信用することが何より難しいことです。
信用できないから、どうしても相手を変えようとしたくなる。
これでは責任転嫁になるだけです。こういうことをしていると人間関係は構築できません。
良いお芝居を作るのであれば、
良い人間関係を作ることが何よりも大切です
良い人間関係を作るのであれば、まず相手を信じるという能力を備えること。これに尽きます。
相手を信じて重要感を持ってもらう。そうすれば変えなくても自らで変わります。
自分が変わりたいとなれば、心に矛盾は生じなくなるので、自分に嘘をつくことは無くなります。
つまり、自分のしたいことをしていれば、自分に嘘をつくことはなくなるということなのです。
ですから演出は、いかに俳優陣に自分のしたい方向性に持っていけるかが腕の見せ所というわけです。
正しいことを言っても人は聞きません。共感して初めて人は言うことを聞いてくれます。
私は演出する時、これを肝に銘じて取り組んでおります。
そうすれば、色んな奇跡が起きてきますから面白いです。
さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。