やっていくと好きになるで続く。物事の本質を見る時に表と裏を見る。好きだからやるというのは表の部分しか見ていないと言えるのかもしれません。裏を見た時に、やる気が失せるようであれば物事を続けるのは難しいでしょう。

人の信用は秤にかけることは出来ませんが、続けるか続けないかで信用の差は必ず出てきます。コロコロ態度の変わる人を信用するのは難しいですよね。続けるのは困難だというのは、いくら自分が正当性を主張したところで、世間の目はよくは見てもらえません。

今回は少し厳しいことを言ってますね(笑) 何をやっても続かない人っていますよね。これは、根気が足りないとか、根性がないとかそういう問題ではないと思っています。

考え方の癖

が原因だと思っています。癖ですからなかなか直りません(笑) ですから時には、相当痛い目に合わないと直らないものなのかもしれません。

ですから私はそうならないように‼…という話をするつもりもありません(笑)

人には人の道がある

私は命にかかわること以外であれば、仮に痛い目に遭ったとしてもそうやって学んだ方が良いと考えています。

ですから、例えそうしない方が良いよと思っても言わないことにしています。それに・・・仮に忠告したところでそういうことに耳を傾ける人はあまりいないようにも思います…(笑)

成功の種は自分の一番見たくないところにある

これはどういうことかと言いますと、この、「自分の一番見たくないところ」って言うのは……

物事が上手くいかない原因は常に自分の問題であるというところ

に当たります。ここに目を向けたくなくないという感じでしょうか。

物事が上手くいかない原因は常に外的な事象によるものだ

このように考えることで、自分に問題があるというところに目を向けないようにしているということです。しかし、このような考え方は実はとっても損をすることになります。

何故なら、こういう考え方をすると、世の中のことに腹が立って腹が立って仕方がないということが多くなるからですね(笑)  被害者意識を持ちますと、とにかく腹の立つことが多くなって無駄に自分を疲れさせてしまうからです。

「こんなことされた!」「あんなこと言われた!」「そんな態度取る!?」

勿論、これが事件事故の場合だとそう思うことは止むを得ませんが、普段からこのような被害者意識を持つと本当に疲れると思うのです。勿論、感情で話をするとやはり人間ですから「許せない!」と思ってしまうこともあるでしょう。しかし、私はそうやって『疲れることも止むを得ない』と自分に強いる自分自身が可愛そうだなと思ってしまうのです。心にもエネルギーがあります。負の感情でそのエネルギーを燃やすと後はどうなるのでしょう。正しいとか正しくないとかではなく、

それは自分を大切にしているという行為でしょうか?

この問いを常に心のストッパーとして持つことが出来ればと思うのです。

表題の話に戻ります…(笑)

「私はこの仕事を愛しています」

という方がいらっしゃいますよね。まぁ、日本人は愛しているという言葉自体まだまだ使わない風潮はありますが(笑) 職人さんのような匠の方は、よく

『それだけ、好きだったんでしょうね』

とか過去形で話す人が結構多いと思いませんか?

物事をしている時に好きだからというよりも、最早、生活の一部になっていて、気がついたらこういうことをしていたって感じだと思うのです。だから、

「これしかすることがなかったから」

「まぁ気づいたら、ドップリ浸かってましたね!」

というお言葉が出るのだと思います。これって、本当に素敵なことだと思います。振り返ってみると「好きだったんだろうな」という感覚。続けるのが努力って考えているのは職人さんの世界では甘いのかもしれません。

気がついたらここにいた

っていうのが理想ですよね。こういう風に道を歩まれた方は本当に自分の続けてきたものを愛していると言えますよね。

好きだからやるっていう感覚はどこか「条件付き」のような感じがします。この条件が満たされたから好き(笑)

そういう考えでは、物事は続かないものです。どんなことがあっても愛するように!とは言いません。しかし、自分が没頭できることに出会うためにはやはり考え方は大きく左右されます。

『今起きていることは自分にとって何を意味しているのか?』

そういう考え方が出来ると今自分が出来ることするということに目を向けるようになります。

若い時の私自身の話をすると、「こんなこと、最初からできるわけないやろ」とブツクサブツクサよく言ってました。出来ないのはどこか人のせいだったのですね。

「これがあれば…、こうあってくれたなら…上手くいく」と信じていました。

けども、海外での公演の時、お世話になっていた照明家さんからこういうことを言われて考えが変わったのです。

海外の劇場は不備なところも結構多くて大変でした。だから、現場で工夫をしてお芝居をお見せするのですが、ある時の劇場で、照明家さんが私に、『灯体3つやで!3つ!どうせ一ちゅうねん(笑)そうか…この3つか…あかん!ワクワクしてきた!』大きな舞台で少ない灯体数。(※照明のライトのこと)

こんな感じで、とっても難しい局面を笑顔で話していくるのです。

この手でどう勝負するか?

そこを汗水流して楽しんでいる職人の姿に私は感動したのです。今起きている現状もすべて自分の問題として捉えられるからこそ楽しめる。そのことをお教えいただいたのです。また、そう生きれたらかっこいいな~!とも思いました。さらにどんな時でも、楽しんでいる人には勝てないなとも思いました。本当に色々そこで思ったのです。

どう見てもその人苦労しているようには見えないんですから(笑) それで凄いことやってのけてるって…ズルい(笑) そう思ったのです(笑)

物事を何でも良く捉えることには訓練が要ります。と同時に相当な経験も必要です。その経験はとても普通の人が出来るような苦労ではないと思いましたが、その照明家さんはその苦労話をいつも否定するのです。

「ちゃうちゃう‼さいとうくん、出来るねん!端折って話したら凄い話に聞こえるかもしれへんけど、一つ一つ重ねていったら出来るもんやねん。そんなんしんどいこともなんともあらへん。簡単やねん。ほんまに!」

と言い切るのです。

「あのな、さいとうくん。最初はな、仕事分からへんのが当たり前やろ。だからあのおっさん何であんなことしてるんかなと、まぁ先輩方を見るじゃない。あなただったらお師匠さんよ。その時にな、楽しいなって思ったのは自分が分かり出した時やねんで。今さいとうくんは師匠の演技の技術なんかこれっぽっちも全然分かってないやろ?だから面白くないねん。だって、自分ばっかりやろ。もっと周り見なおもろないねん。物事には、順序があって、まず、言われた通りにする。次に何でそうするのかを考える!やねん。その時に初めて周り見る!や。でも、これな~簡単に出来たらおもろないねん!簡単やったら誰だってできるんやから。これはたぶん俺にしか分かれへんねやろなというところまで行ってみ?それは、俺にしか分からん楽しみやねんで。だから、さいとうくんにも分かるわけがない。でもな、あの人(私の師匠)僕の照明を見抜いてるからな…この人(私の師匠)はほんま凄いと思ったよ。いっぺんな、どんな人なんやろかって意地悪して灯り作ったことがあったんよ(笑)そしたら見事にあの人入ったもんね!僕の灯りに。しかも僕のイメージ通りに。やられた~!って思ったよ(笑)…まぁ、こういう戦いがあるっていうのもさいとうくんには分からんやろ。これが楽しいねんで!…まぁそんなこと今さいとうくんが考えたって仕方ないねん。やれ言われたらやるねん。それやってたら楽しくなるから!分かった?」

演劇の楽しみなんて初めから知っている訳がない…そう言われたような気がしました。

煩悩即菩提

今ではこの言葉を思い浮かべるのであります。言葉にはなかなか言い表せないこの言葉ではありますが。

最後までご覧下さいましてありがとうございました。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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