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台本を貰って読むと、大体こういう読み方するんだろうなって予想できることが増えました。

これは学校の教育の問題です。

画一的な教育を受けると、普通から逸脱するような読み方はしないから。

これはとても残念なこと。

芸術ですから、個性があって良いんですけど、その個性の出し方がいまいちよく分からない方が多いように感じます。

誰にも言われていないのに

台本を間違った読み方でしない

というようなプログラムが組み込まれているかのよう。

こういうことを思う時、一つのエピソードが脳裏に浮かぶ。

それは私の学生の時の友達のお話。

その友達は国語で芥川龍之介の羅生門をみんなの前で、先生にあてられて読まされた時に、全て大阪弁で音読してました。

これにクラス一同は大笑い。

私もその口でしたが、本人は至って普通なんです。

だって、大阪人やねんから大阪弁は当たり前やんという感じです。

ごもっとも。

確かに入ってきやすかった(笑)

ですが、みんなは、時々大阪弁になるだけで、もろに全て大阪弁で読む人はその友達以外誰もいませんでした。

その中で大阪弁で読んだことに私は逆にポリシーを感じましたね(笑)

非常に難解な読み方を口語訳までして読んでるんです。

友達も私同様、変な人ですね(笑)

まぁ友達の場合は、読みやすいように途中、口語訳に勝手に直してましたので芝居の台本で、それはいけませんが、そういう周りの固定観念から離れた発想で読むというのはチャレンジ精神があって良いと思うんです。

明らかに違うということも分かりやすいのですが、何より、かけ離れた発想の方が、新たな発見が出来る可能性が高いからなんです。

ですから、練習の時の私の台本のセリフの読み方は、基本大阪弁です(笑)

標準語の芝居でも練習時は大阪弁で言うので、みんな面白がって笑います。

ですがね、分かってないなー

大阪弁で読んだ方がね……当然、自分の言葉になりやすいんです。

まずは自分の言葉に直す。

そうすると、その、自分の話した言葉の音から不思議とちょっとしたアイデアが生まれたりするもんなんですよ。

演出をする時でも、役者へのダメ出しをする際、自分がいざその役者の役を、にわかでやってみせる時は標準語の芝居ですと出来るだけ標準語にやっては見せるのですが最後らへんになるとやはり大阪弁になるのです。

どうしても自分に嘘があってはいけないというのが染み付いているんでしょうね(笑)

ですので、セリフをいち早く自分の言葉にしたい時は、自分の生まれ育った土地の言葉で、話されるときっといいアイデアが出てくるかと思うんですけどね。

知らんけど……