私は10数年間プロの劇団で日本各地、海外で公演をしてました。
舞台には今まで400回以上立ってきました。色々な経験をさせていただき、色んな舞台の技術も身に着けることも出来ました。
その技術の中の一つがコミュニケーション能力。
この技術を得られてから、普段でも様々な事に活かすことが出来ました。良い人間関係も築き上げることが出来て、心も豊かになりました。
コミュニケーションが全てにおいて良い働きを起こしてくれています。ですから私にとってこのコミュニケーション能力は生きていくための最重要スキルだと考えてます。
大昔は赤面症であがり症で、人と話せなかった私。
その私がお芝居を通じてどのようにこのコミュニケーションスキルを身につけたか?
今回はこういう切り口でお話します。
私のような過去の経験と同じお悩みの持たれている人、コミュニケーションが苦手な人、会話するのが億劫な人にご覧いただければ嬉しいです。
話し上手になるコツの目次 |
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1. 開き直ることで見えたもの |
2. 人は見かけで判断する |
3. コミュニケーションが良くなると何が得られるのか |
私は、全然人と話が出来ない時は、話のうまい人と自分を比較していたり、またはどこか嫌なイメージを持っていました。「自分にはああいう感じには話せない」とか「人に良い顔してて、なんかヤダな」とか、そういうふうに思っていました。そういう人にはなりたくないけど、もっと人と話す練習は必要だと。
「自分は変わらなきゃ」ってずっと思っていました。
だからお芝居を始めたきっかけでもある「自分を表現するための基礎講座」というのを20歳の時に受講したのでした。(ここは以前私が所属していたプロ劇団のワークショップ。私はここで以後10数年間芝居することになったのです)
練習している時、周りの受講生の表現を見て「よくあんな恥ずかしいことを思いきって出来るよな~」と冷ややかにみていました。
私の練習の番になり、テキストを使って読むのですが、読み方がおかしいのか、よく周りから笑われてました。
「恥ずかしい」という思いが、声を小さくさせて、テキストを持つ手も震えていました。
あまりにかわいそうだったんでしょうね(笑)講座が終わって帰りの電車の中で同じ講座生の女性の方々に「大丈夫よ。落ち着いてやればできるから」と言われたりして顔を真っ赤にして帰ったのを今でもよく覚えています。
「出来ない癖にプライドは高い」
私はそんな典型的な人間でした。
悔しいんだけど、恥ずかしくて出来ない。
毎回、講座に行くのが恐怖でしかなく、行く前になるといつもお腹が痛くなるのがお決まりでした(笑)
そして半年の講座を修了した時、その先に進むのは嫌だから辞めようと思ってたのですが、何を考えていたのか続けることに決めました。
これはプライドが高いということが幸いしたのだと思います。
このまま辞めたら「逃げた」と思われる(笑)
そうして講座二期目に突入しました。
背水の陣で臨めたのか、徐々に恥ずかしいという感覚よりも、自分の表現が上手くなっていることに気がつき、もっと上手くなりたいという気持ちが勝るようになりました。
その時です。
「さいとうくんって声が良いよね。舞台映えする声だと思うよ」と・・・
女性の劇団員の方から言われました。
もうそれが嬉しくて嬉しくて(笑)
普段褒められたことがないので、有頂天になりました(笑)
まぁ、今考えると、褒めるというよりも褒めるところがなかったから、その方の優しさで言われたのだろうなと(笑)
その褒め言葉がさらに拍車をかけて、どんどんと調子に乗ったのです(笑)
人間はある程度追いつめられると逃げるか開き直るかどちらかの選択になります。そして、この選択はどちらに行っても良いのです。
逃げたらだめだとかいう方もおられますが、逃げないと命の危険だってあるのです。逃げて体勢を立て直して取組むこともできるのですから、その時にすべて勝負しようという考えをすると心身ともに支障を来すこともあるでしょう。だから逃げることも大切です。
ただ私のこの場合、逃げなくても命の危険性が及ぶことはありません。恥をかきたくないというだけでしたので、これを乗り越えれば人と話すことも少しは上手になれるのかなと思えたので「ここで逃げてはいけない」となったのです。
そうすると不思議なことに恥ずかしい意識よりも、上手くなりたいという意識が増すようになったのです。
人間は覚悟をすると物事の見え方が変わるのですね。
私たちの環境は、選択が多いので、今自分がしたいことに緊急度が上がりません。結果、やろうと思ってても出来なかったということが殆どではないでしょうか。
自分を追い込むのではなく、この先を考えて、色んな選択肢を用意するのではなくどっちにするかを作った方が新しい行動はとりやすいののかもしれません。ここには少しの勇気が要りますが、殆どの場合、思ってたより全然だったということの方が多いですよね。
私の場合、この選択が開き直らせて「恥ずかしくてもやるんだ」という気持ちが芽生えました。
そうすると他の講座生も、表現が上手くなりたいという一心で頑張っている姿が目に飛び込んだのです。
この時に、私は今までプレイヤーとしてではなく、ギャラリーとして講座に取組んでいたんだと知ったのです。
他の講座生は、脇目もふらず、ただ自分のことを出来るようにしていた。でも私は、自分の出来ることをせず、周りの目ばかり気にしていた。
ということに気がついたのです。
そうして私はプレイヤーになった時、自分の上達していることに気がつきました。
「こうすればいいのかな」「ああしてみよう」
こういうチャレンジが段々と面白くなったのです。
開き直ることで本質を見た。
そういう境地になったのです。
今まで見ていた世界は「虚構の世界」。
そう感じるようになりました。
本質を見ることにより、人と比べることが減り、みんな同じ人間なんだと思えるようになると、自分が恥ずかしいと悩むこと自体「そんなことあるよね」だけで済ませるような軽い悩みになったのです。
本質が分かれば、みんな同じ人間。自分が思うことは人も同じように思う。だから、自分基準で物事を考えてコミュニケーションを図ってみませんかという話を次のページに致します。