リアルな私をご存じな方は知っておられますが、私は人と比べると結構自由に生きさせていただいてます(笑)

というより、人生捨ててるように見える……(笑)

かもしれませんね。人様の一般の暮らしでいわれる幸せは何一つ持ってはおりません。

そんな私の申すことですから、変わってるな~ということなのかもしれませんね。

ですが、その変わってる人間から見ると、当然普通のところが変わって見えるわけでありまして、そういう視点からもあるんだという感じでご覧いただけると何かせの気づきに繋がればと思い、今回もお話しさせていただきます。

まず、私の自由の基準は、ズバリ‼(昭和か)

「やらなければいけない」

が少ないとでも言いますか、それよりも……

「やりたい」

ということを優先しています。ですから今の私の環境はそういう風に動けるようになっています。ただこれは……

私みたいに生きたくないという人も多いはず(笑)

私の生き方には保障や保険がありませんのでね。ですので、マイノリティな方だとは思います。ただ、私をうらやむ人も多いです。超多忙な人は特に…(笑) 

でもそれは、隣の芝生は青いと同じで、一面だけを見るとそう思われるだけですよね。

ただ、普通の方よりも、私は自分の時間を大切にしていると言えるでしょう。

私たちの活動は想像力が必要です。その想像力を生かした活動をするためには、

ぼーっとした時間は必要です

ですので、ぐうたらな私に見えるかとは思いますが、それだけ時間を作るための努力をたくさんしてきたのだと思います(笑)

苦労していないわけではないのです(笑)

でも、誰もが山あり谷ありを経験しているはずですよね。

ただ、私が申し上げたいことはそういうこととは少し違って、努力したから今こうして自由な時間を使えると言いたいわけではないのです。

私が申し上げたいのは、単純に……

自分ってそんなに苦労したかな???

そんなに頑張ったかな???

努力したことあるのかな???

ということでありまして、

今から思うと、好きだからできてたんだろうなと思うことばかりなのです。

その時、私は一つのことに気がつきました。

それが先ほど申し上げた

私はやりたいことしかやっていなかった

ということです。

ただ、ここでもう一つご説明したいことがありまして、それは、私の知る人が私の過去を見ると

超管理社会で育ってきた

と思われます。

ここで私の過去のお話をさせていただきますが、私が以前所属していた劇団はスパルタでした。

劇団員として5年続いた人がいないという……(笑)

本当に厳しい劇団でした。まず、考え方から矯正されます。

「普通は」「常識として」「当たり前」の言葉を駆使して、私のゆるい考え方をことごとく矯正されました(笑)

ただ、それは今となっては本当に良い勉強でありましたが……マイペースな人間としてはきつかったです。

またさらに、自分が矯正できたことでも、周りの人がまだ直せていない人がいると当然そこに雷が落ちるので、いつも自分が叱られるわけではないけど人の動向にもひやひやしてました。戦々恐々です。

阪神大震災後の劇団活動は特に悲惨で、よく「震災ボケ」といって、お師匠さんから尋常ではない怒りに触れたことが何度もありました。

無休、無給の時期もありました。

あの時は震災で神戸の劇団が焼失被災して拠点を大阪に移し頑張ろう頑張ろうとなっていました。

一人で真冬の極寒の中、大阪の環状線の橋の下で毎日舞台の大道具を叩いていたこともありました。

警察の人にこんなところで作業したらあかんと注意もされました。事情を言っても向こうもお仕事。それを許すわけにはいかないと言われたので、そっと隠れて作業してたこともありました。

お芝居の稽古でも、理不尽なことを言われるのは当たり前で、ビール瓶が飛び交う稽古もありました(笑)

周りの劇団外の仲間からもよく同情の声が……

その周りから気の毒な目で見られるのが逆に辛かった……(笑)

そんな超厳しい環境の中で、どうして、

私はやりたいことしかやっていなかった

と言っているのでしょうかということなのです。

やらされてばっかじゃない??(笑)

確かに、しなければならないことをしてたように周りからは見えていたと思います。

ではどうして、そんなスパルタな環境でも「やらされた」というよりも「やりたい」と思えるようになっていたのか?

今回はこの「管理の中の自由」というお話をさせて頂きます。

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