いくら面白いものを作っていると思っても、周りに受け入れてもらわなければ意味がありません。

どんなに素晴らしいことを言っても

どんなにためになったとしても

自分が世間の皆様からの関心に値するのか?

ということを頭に入れないと「正しいことをしているのに」といつか世の中が悪いというような考えになって孤立を深めます。

近江商人のお考えで

『三方よし』

という言葉がありますね。

売り手よし、買い手よし、世間よし

私はこの言葉がとても好きで、

この言葉こそ、調和を図るにふさわしい言葉

と思っているのです。

世の中で、上手くいってるところは、その殆どが

調和が成されている

と感じます。

美味しい料理屋さんに行列が出来るのも調和です。

「美味しいものを食べたい」「美味しい食事を提供したい」「人が集まる素晴らしい環境」

このような素晴らしい場所にはエネルギーがたくさんあって、本質以上の満足をみんながお感じになられているような……

そんな感じがいたします。

本質以上のことが起きるというのは「他力」

つまり、

阿弥陀如来のお力が働いている

そのように思うのです。

自分の実力だけで生きてやろうと考える人には無縁の力で、全ての存在には意味があると考えた調和を図る考えがないとこの『他力』が働くことはないように思えます。

またここでも「他力」の話をしてしまいました(笑)

どうして私たちが存在するのか?私たちの一人一人の成功は何を意味をしているのか?

その意味の真意を知る人は誰もいません。

みんなが生きる意味を探して生きている時に、最終的に辿り着く考え方はどのようなものでしょうか?

私が演劇を通じて感じたことは、やはり私たち全ての集合的な繋がりが生きていることの鍵になっているように思えてなりません。

沢山の人と共感しあい、強大なエネルギーが発生して、新たなものを生み出す

そのような宇宙的な感覚が個人の中にもあるような……そんな気が個人的にはしております。

大きなエネルギーを得られた時に、一人の私では出来なかったことが出来るようになったりする経験は過去に何度もありました。

自分では成し得ないであろうと思っていたことも、皆様のおかげで成し得た経験も数多くあります。

というよりも、全てにおいて自分の成功を自分の実力で成し得たと思ったことがないくらい、

不思議な力を感じていた

ので、自分がやり遂げたという感覚は皆無です。

そのように考えると、

私は完璧である必要はない

と思える。

いやもっと言うと、

完璧でないからこそ、素晴らしい方々と出会えていることに気がつくのです。

私がお会いする方々は、

私を成長させてくださる存在

だと感じております。

その中で、合う人もいれば合わない人も当然います。

だから、合わない人に対して「成長させてもらってる」と考えるのは少々癪に障るかもしれませんが(笑)

この人とは合わない

ということを学んだのだとするならば、

自分と同じようなものが足りていない人だと考えれば、その人と調和を図ることはしなくても良いはずですよね。

合う人と合わない人も、自分の成長段階で変わります。

自分が成長すれば、今まで合わなかった人が寧ろ合うようなってきたということはよくある話です。

その時に、ずっと同じような人と合わないのであったならば、

「自分が成長しているのか?」

という簡単な指針にもなるのですね。

人間の楽しさは色々あると思いますが、その中の一つに自己成長があります。

「色々知りたい」「学びたい」というところは、自分が成長して新たなステージに行ける楽しみがあるからですよね。

その成長を楽しみと捉えず、嫌なものと感じ避けていれば、いつまで経っても苦手な人は克服できません。

仮に逃げたとしても、また新たな環境でも同じような苦手な人間が現れてしまうこともあるでしょう。

いや、もしかしたら避けている人は、同じような人を引き寄せているのかもしれないのです。

引き寄せというと不思議な力で根拠がないように聞こえてきそうですが、

私自身はこのように思っています。

演劇をしてて思うのは、

人は誰しも同じような行動に出る

ということが本当に多いのだなということが分かります。

例えば、ある人が奇妙な行動に出たとしても

「そういう状況の時、そうしてしまうよね!」と

見ている人が共感できる事柄は本当に多いのです。

冷静に考えれば、そんなことしなくても良いのに、ついついやっちゃうという行動は

人間の性を表す格好の表現となる

ので俳優はそういうところをよく研究します。

こうしてバカバカしいことでも、「あるある」的な表現は共感を呼びますので、お客様を味方につけやすくなるのですね。

もちろん意識の差や個人差はありますが、マジョリティを共感させるには十分なくらい、人間は同じことをしていることが多いのです。

おそらく、人間行動学を学ばれている方ならば、このあたりは熟知されているのでしょうが、

私たち演劇人にも人間の行動の共通性の理解は進んでいると思います(笑)

話は少しそれましたが、同じような人を引き寄せているということはどういうことかというと、

『避けている人自身が、会う人会う人を苦手な人に変えている』

どういうことかというと…

最初はとっても良い人なのです。ですがいつの間にかその人が苦手になってくる・・・

そういう感じがあるのではないかと思うのです。

例えば、苦手な人を避けている人の心境は

「私にこのように接してくる人は苦手なのです」

となっていても、

相手はそうせざるを得ない対応になっている

のかもしれないのです。

私は何もしてないのにと思っていても、無意識の行動が、相手を同じように思わせ、行動させている可能性があるのではないかと思うのです。

この時に先ほど申し上げた、「人は同じような行動を取る」ということがあるということなのです。

自分は何もしてないのにと思ってても、それが心理的な盲点か、意識がいかないだけなのか分かりませんが、少なくとも苦手な人がよく現れることが自分の問題だとは考えていないのかもしれないから、避けているのかもしれません。

もし仮に自分の問題だと考えれば、どうすれば苦手な人と会わなくするのかということを考えるのかもしれません。

そして、こうした自分の考え方の変化から、また別の視野で見ることになり、そこから、「それでも向き合うか避けるかを考えれば良いのだ」と思うのです。

このような考えで取り組むとやがて合わない人間は徐々に減っていくように思います。

何故なら、

合わない人にフォーカスしなくなるから

です。合わなきゃ仕方ないで済む話になるのです。

人間関係は、線引きがとても重要で、自分の問題と人の問題がしっかりと認識が出来ている人は、人間関係のストレスは少なくなります。

まず、線引きの出来ている人は、

依存する方法を間違えていません。

自分が苦しいからと言って依存するのではなく、

依存してあげた方が相手の幸せになる

と考えた時のみ、成立するのかなと思うのです。

自分の苦しいところで依存をするとこれは問題がやはり生じるのではないかなと思います。

依存するなとは言ってませんよ(笑)

依存の工夫が必要なのだということです。

この時に、近江商人の「三方よし」の考え方があれば、その工夫の仕方が見つかるとのだと思うのです。

つまり、

自分が「相手がこうしたら嬉しいだろうな」と思い、相手が「実際に喜んでくれた」。それを周りが「良い関係だね」と見えている。

というような構図が出来ていれば、良い信頼が出来ているのだと思うのです。

ここに「相手がこうしたら嬉しいだろうな」と考えても実際に喜んでいただけなかったら、それはいけません。

せっかく、喜ぶようなことをしたのにと言っても、

それはエゴです。

相手のことを考えるということを真剣に考えるという意識を持てば、それは見えてくるものだと思います。

ただ、勿論、最初からなかなか見えるものではありません。

自分のやったことが受け入れてもらえないことは普通にあると考えて根気強く相手のことを考えてそのトライアンドエラーで理解を深めるのです。

ここで、受け入れてもらえなかったことを嘆くのではなく、

「何故受け入れてもらえなかったのか?」

と考えることが出来れば、第一段階はクリアできたようなものですよね。

つまり、こうすれば普通なら喜ぶと考えた時に、

『自分はこうしてもらいたいから、こうしてあげる』という考えで、人のニーズに応えていれば、当然、のちのちうまくは行きません。

いつか必ずその関係には破綻が来ることになるでしょう。

見返りを求めるなと言ってるのではありませんよ(笑)

相手の為になることが自分の喜びになっている環境を作ること

これが全てなのです。

これがまずできていないと、調和が図れないのです。

みんなの需要に応えられる人でなければ調和から生まれる恩恵はいただけません。

では、みんなの欲しているニーズは何なのか?

それは今、自分が純粋に欲しているものと同じではないでしょうか。

世の中は受け入れて欲しいという人が溢れている

ですから、このニーズに率先してお答えすることが鍵なのではないでしょうか?

優等生でなくても良いんです。素晴らしい人でなくて良いんです。

ただ、寄り添って、受け入れる人間になれば、あなたも受け入れられるようになる。

そういう人が組織にいるととてつもないエネルギーが生まれて、色んな奇跡を起こすことができるのではないかなと思います。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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