
俗に言われる
『日々の練習の積み重ね』
まず、この俳優養成講座の日々の練習風景動画をご覧いただけますでしょうか?
練習材料は、公演用ではなく練習用でして、一つの物語を抜粋して練習するという手法を取り入れております。
2分ほどのシーンで解説が入って4分の動画になっていますが、ご覧いただく前にどんなお話かをご説明すると、
ある外国の街に姉妹が住んでいました。妹がある俳優との恋に破れ、帰路につく。吹雪の中を彷徨い、やがて路上に力尽きて倒れる。そこに同じアパートに住む老人が偶然通りかかり妹を助けて、姉の待つ家に連れて帰り、医者を呼び診てもらう。
練習のシーンは、その妹の病状を診終わり、アパートの廊下で看病をする姉に医者が処方箋を渡すというシーンでのやり取りから始まります。
こうした短いシーンを俳優養成講座の参加者は全員で、役をローテーションしてやってます。
ご覧の通り、若い女性が男性の医者や男性の老人の役を演じたりもします。練習ですので、今までしたことがない役が出来ると結構ご好評を得ています。
全員が全ての役をしますので、
「こうしてあげた方が動きやすいよね」
というのも分かってきます。
ですからこの練習は、
自分の為だけでなく相手の為に動く練習でもある
のですね。
そして、実は、自分の表現の練習よりも、相手が動きやすいように演技を練習することによって
相乗効果を得る方法が分かる練習にもなるのです。
演劇というのは総合芸術です。俳優だけではなく、多くの裏方とも作っていくのですが、それよりも大切なことは、
作り手がお客様と一緒に作品を育んでいくこと
これが一番大切なのですね。役割さえ果たせば良いというような人ではいけません。そういう人であるならば、だれでも良いのです。
あなたでなければダメなのです!
ということが作り手一人一人に求められるのですね。
ではどうしてあなたでなければダメという人でしないといけないのかというと、
総合的にみんなが噛み合って、とてつもない化学反応を起こすことがお芝居の醍醐味だからなのです。
これは、調和に基づく考え方です。そしてそれは私たちがリアルに生きている世界と全く同じで、
調和のとれたものは、バランスが絶妙ですべて上手くいくようになるのですね。
ですから、自分の力を周りと調和させて、大きなエネルギーに変えていくことが演劇の本質ですので、一人一人の掛け合いで触発しあう練習というのは本当に大切なのです。
それを無視した練習をしてしまっているのであれば、その演劇の本質を理解されていないのと同じで、素晴らしい作品を手掛けるための知識がないと言わざるを得ません。
演劇というのは一つのエネルギーからどんどんと増大させて、劇場にいる全ての人を巻き込むことが出来るエネルギーを生むことを求められるのです。
ですので、その小さな段階ですが、その段階でも、しっかりと相手の為に動ける演技を習得しておいた方が、相手が気持ちよく演技できる環境になるので、そうしてあげたいですし、またお相手からも自分の為に動いてくれるといったホスピタリティ溢れる演技でお応えしていただけるので、ここが実はとても大切なことだったりするのです。
しかしながら、相手の為に動く演技というのはあまり知られていないのが今の日本の演劇の現状だと思います。
そのような『演技に対しての意識に問題』があるのですが、さらに言いますと、しっかりとそのような演技法を教えても、その重要性に気がつかずに、身を入れて演技を習得しないというのも現状ではあり、それが演技を習得する弊害にもなっているのです。それほど、大切なことをしているというものに見えないのが、難しいところなのであります。そのどうでも良いようなことに時間をかけて取り組むわけですから普通に考えれば、馬鹿馬鹿しか感じる方がむしろ自然なのです。
この上記の動画のシーンの練習、実はこのシーンの練習は4年ほど前からやってます。
しかし、納得のいく動きを習得できた方は未だかつておられません。
たった、2分ほどのシーンでも、数限りない演技があり、その演技術の習得をするのは時間がかかるもので本当に難しいのです。
ここはおそらく経験された方でないと分からないことかもしれませんが、この練習を経験された方は、ここまで細かく演技練習をしたことがないと口を揃えて言われます。
ただ、4年やっても出来ないなんて…と思わないで下さいね(笑)皆さんの覚えが悪いとかではないんです(笑)
では、なぜこれだけ、時間がかかる難しいものかというと・・・
周りの人は騙せても自分は騙せない
ということが原因なのです。
自分の中で、何回やってもしっくりこない。
他にもっといいやり方があるんではないだろうか・・・?
そういう考えが、自分の演技にどうしても反映されてしまうのです。
つまり自信のない演技なのです。
自分でこうだというところまでもっていくには、何回も何回も反復練習をして、自分の身体の中に馴染ませる。そして無意識なレベルにまで落とし込む。考えなくても体が勝手に動くところにまでもっていかないと自分自身が嘘の演技だと見破ってしまうのです。つまり演技の答えは自分の中にあり、その自分の中の人に納得してもらうために、理にかなった動きの反復練習をするのです。
ここが演劇の本当に奥の深いところで、
私の先輩方でも、未だに満足できた芝居が無いのはそういう部分が多様にあるのだと思います。
もちろん私自身も、自分の演技に満足したことは一度もありません。
しかし、こうは思います。
「今の自分ではこんなもんだ」
つまり、自分の実力を知っているのです。
だからこそ、そうできるようになりたいという欲求が常に湧くのですね。
自分との戦いと言えば、聞こえは良いですが、私の場合は、
自分がこうしたいということに対して足掻いている(笑)
といったところでしょうか。
でも、その足掻いているのが楽しかったりもするのです。
俺生きてるな~
って感じがします(笑)
こういう風に、とんでもなく人から見ればつまらない、大したことのない、やっても意味がなさそうなことを続けることが実は本当に本当に大切なのです。
今まで、芝居の世界から離れていった人の気持ちも本当によく分かります。
こんなことして何の意味があるねんというようなことばっかりしてきましたから(笑)
やっても意味がないことを続けることが、人間にとって、とっても難しいこと・・・
いいえ!そうではないんです。出来ないんです。
これが、やれそうでやれないことなのです(笑)
皆さん、技術を覚える時は、目がキラキラして燃えていますので、なんでも吸収するぞってなってます!
当たり前ですよね。
ただ、こういう地味な練習を何回も積み重ねていくと、
「何でこんなしょうもないことしないといかんの?」
と考えることも当たり前のことなのです。
当たり前のことなんだから、続かないことも当たり前なのですね。
だから、ここで必要なのはですね。
自分の中で夢を描き続けられるかってことだけなのです。
高いステージにいる人は、そこに上がった理由を知っています。
ワンランク上のステージ上がろうとする人は、ワンランク上の上り方を知ろうとあれこれ考えますが、
今のステージの常識の範疇内で考えるアイデアで上がることなんて不可能なのです。
ですから、自分がどんな小さなことでも成功体験できていると考え、自分は高いステージに上がれる人間なんだと言い聞かせれば、
高いステージのいる自分が自然と思い描かれていくようになるのです。
私の場合、演技練習をする時に、この動作を無意識に覚えることが出来たら、きっと今とは違うものの見方が出来るはずだと、そうしたらその考えに相応しい環境が眼前に広がるわけだからと、常に高いステージにいる自分を思い描いているのです。
そのようにワクワクして取り組んでいると、やがて今まで意識してしか動かせていなかった動作が、無意識に動かせるようになり、遂に、こう考えるようになるのです。
『何でこんな簡単なことが出来なかったんだろう?』
成功者の見方はこうなんですよね(笑)
「考えた方が余計にできないわ」
ということだってある(笑)
こういう考えが出来ているということはすでにステージが上がっているという証拠なのです。
この考えを経験できれば、大きな自分の目標であっても、
無意識レベルにまで行けば、きっと簡単なんだろうなということが分かってきます。
この経験を積んだ人が実はどんなにつまらないことでも続けていける人なのです。
努力で続けるのでは勿論ありません。
その先が知りたいから続けたいのですね!
つまり、どんなにしょうもないことをしてても、自分の進化した先のビジョンがあれば、
「今してるのはこういう意味かな?」
「多分これが身になってるんだろうね」
「なんか、近づいているような気がする」
という気持ちで取り組めるようになるのです。
自分の理想の自分を思い描くことが出来ないから、自分にとって不利益を被ってるとも言えます。
ですから、目の前に見えているものが、実は宝物のような経験なのですけど、それが宝物に見えず、ごみに見えてしまっているのかもしれません。
現状に生きる人にはゴミであっても、未来を見据えた成功者からすれば宝物名前でいるのだから、そこが面白いのですよね。
今していることは宝になる経験ばかりで、その宝の山で練習しているんだよと思って、行動してみませんか?
そうすると、今回のちょっとした動作や動きを反復練習して習得させることが楽しく出来ますよ。
最後までご覧いただきまして、誠に有難うございました。