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何に対してもこだわりを持って仕事をすることは良いことです。

ですが、こと演劇に関しては、そのこだわりが時にスコトーマになることもある。

スコトーマとは盲点。

では盲点で良いのではないかと思われるかもしれませんが、演劇においてはスコトーマという表現が一番しっくりくる言葉です。

物理的に見えないのではなく、心理的、或いは認知的に見えない状態を指します。

目の前に探し物が落ちているのに、緊急度が上がると咄嗟に見えなくなることはたまにありますよね。

野球で例えると、ボールを見失った時、足元にボールがあるのにもかかわらず、当たりを見渡してしまう行為など。

これは心理的緊急度が高くない人からすれば、

と面白おかしく見えたり、イライラしたりする原因にもなりますが、当の本人からすると、本当にボールは目の前から消えているのですよね。

演劇でも実はこういう事例は多々ありまして、演劇だからこそ起きてしまうスコトーマは本当に多いのです。

演劇は台本という筋書きがあります。

その筋書きに沿って作り手は動きますが、この筋書きを追うだけで、実はもうスコトーマが出来てしまうのです。

人間は一度物語を認識すると、その物語に合わせた見解でしか物事が考えられなくなるのです。

例えば、台本のト書きに「ここで泣く」と書いていれば、演者は「泣く」という表現を追究します。

そうすると頭の中では「どうやって泣こうか?」という考えに縛られてしまう。

そしてその考えに基づいた表現方法を駆使することに注力する。

ではここにどのようなスコトーマが出来てしまうのかですが、ト書きに「泣く」ということで何の疑いもなく「泣く表現」をするというところに出来てしまうということなのです。

少し難しいですね。

こういった説明は非常に難しいのですが、簡単に言うと、台本は作者の意図によって構成されています。

その構成は

という疑問が常になければならないのです。

つまり、「どうしてここで泣かなければならないのか」という疑問を持つことで、

のです。

話を整理すると、ここで何故泣くのかという疑問が出てくると、ここで泣かなければどうなるのかという一種のパラレルワールドを想像することが出来るようになるのです。

そうすると、ここで泣かなければならない色んな状況がどんどん見えてくるようになる。

つまり、スコトーマが外れて、より多くの情報から核心に迫る表現に近づけるのです。

例えば、ここで泣かなければお相手の演技に支障が出てくるといったことですね。

次のセリフで私に「泣かないで!」って書いてるのに泣いてなかったらダメですよね(笑)

でもこういった本当に初歩的なことにも気がつかない場合は、本当によくあるのです。

ネガティブなことを言いましたが、次にポジティブな例で言いますと、「ここで泣いた方が周りの演者の方々が同情する表現がしやすくなる」というような、周りに対しての配慮、つまり「泣くという表現でも」その中でホスピタリティーのある表現も加味されることに繋がるのです。

それだけでなく、その同情した表現をさらに受け取って、相乗効果を働かせる表現にも成り得るのですね。

作者とすれば、このように書けば、大きなエネルギーが生まれると信じて、それを台本という文字媒体で、私たち表現者に語りかけてきます。

その時に、人の話のように「フムフム」とただ単に頷いて聞くよりも、「これこれはどういうことですか?」とその都度その都度質問していったほうが、当然ですが理解は深められますよね。

この理解を深める行為が言わば スコトーマを外すということなのです。

演技には深い表現がありますが、こういうスコトーマの外れた表現こそが万人に受け入れられえる素敵な表現になるのではないでしょうか。

誰にだってこだわりがある。

ですが、そこに全体を考えたものではない独り善がりな表現があると、表現者はおろか、お客様の心を動かすこともままならない世界のように感じます。

それは何も共演者に限ったことではありません。

大道具や小道具のお仕事、音響や照明のお仕事に造詣を深めることで、スコトーマが外れることがよくあります。

私たちの劇団は、出来るだけこういった舞台に関係するお仕事は全部自分たちで賄うという考えがあるのは、このような造詣を深めることであります。

勿論、お金がないから外注出来ないというのも理由の一つにありますが・・・・・・(笑)

若手劇団員でも役者としてどこに立てば良いのか、または照明の当たり方にも少しずつこだわりが出てきているようにも感じます。

ここで以前私が若い頃に言われたことを。

サスペンションライトの灯り範囲が先輩方よりも広かったので、それを照明の先生にお聞きしたところ・・・・・・

本当はね、ベタな灯りにしたくないんだよ。でも、さいとうくんはまだ居場所が定まってないから、少しずれてもカバーできるように大きく取ってるんだよ。もしもこの範囲が今後狭まったと感じたら、それは私からの最高の誉め言葉だと思ってくれ

本当は理想の灯りを当てたかったはず。

ですが、その配慮があって私は育てられた。

顔に灯りが当たらないのは、照明家の技術ではなく、役者の技術だとこの時知りました。

今では、大劇場で灯りからはみ出ようとする若手がいれば、芝居中でも強引に手で止めて制することもあります。

ですが、手で止められない場合もある。

その時は、外堀を埋めて、共演者を動かさないようにする。

こういった一つひとつのみえない技術が演技であって、演技は表現するためだけのものでないのですね。

相手を引き立たせるための立ち位置。

お客様の視線を誘導させる技術。

こういったアンサンブルを活かす演技術は、実は、様々な舞台機構を熟知していないと身につけられないものなのです。

このような現場の知識を知れば、自ずとスコトーマは外れていく。

そうすることであなたのこだわりは共演者、舞台関係者のみならず、お客様にも伝わり、特別な存在として応援してくれるようになるでしょう。

「誰にだってこだわりはある」への2件のフィードバック

  1. なるほどネ❗
    自分なりの「こだわり」にばかり一喜一憂すると「ストコーマ (盲点) 」がわからず、観客を感動させる演技は出来ないという事ですな☝

    さいとうさんは良き先輩方に教えを受けて素晴らしいですッッ☆彡

    1. いつもありがとうございます!
      観客の皆様に感動していただくためには、一体感が全てだと感じます。この一体感が普段の私たちの行い一つひとつの表われになり、その思いをお感じ頂き共感していただけるものと感じております。

      仰る通り、先輩方から色々と大切なこと教わりました。さらに輪をかけて出来の悪い人間だったので、教えるのは大変だったかと思われますが・・・💦

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