自分で言うのもなんですが……

今まで私は二の線の役が多かったのです(笑)

二枚目ではありませんが(涙)

そんなこと出来るのかとお思いになられる方もおられるかも知れませんが、

出来たんです(笑)

当時所属していた劇団には容姿端麗な俳優が何人かおられました。

私は背こそ高いけども、どちらかというと

ウドの大木系(笑)

演技もどちらかというと不器用でしたし、身のこなし方も普通だったので、

普通に考えれば、どう考えても三の線の役なはずなのですが…何故か二の線の役をさせて頂いてたのです。

私よりも数段カッコイイ俳優さんは何故か三の線の役が多く、

本当に私がこっちで良いのかな…

とよく思ってました。

ただ、私が出演した作品の多くは、私の先生の書かれた戯曲でしたので、

「当て書き」でした。

泥臭い不器用な役が多く『不器用ならばさいとうだろう』という感じだったのでしょう。

そのような不器用な人間が中心に現われる作品が多かったので、私はついていたのかもしれません(笑)

一方、私よりも数段カッコイイ(笑)俳優さんは、とても器用な俳優さんで、身のこなしも良く、色んな役をされてました。

引き出しも多かったので、稽古ではいつも『面白いな~‼』と思って笑いながら見てました。

ご本人も面白い役をするのがとても好きで、本当に色々なことを考えてきて稽古に臨まれていたので、私にとても凄く良い刺激を頂いた方でした。

ライバルというのはおこがましいのですが、私には私なりにしかできない演技をというところを追究しようと、その方を意識して稽古に取り組んでいました。

今思うと、私は不器用でしたので、色んな役が出来なかったということですが、おかげで自分らしい芝居の確立がスムーズに出来たような気は致します。と言ってもまだまだ発展途上の身ではありますが、自信を持って役に取り組むということは出来るようになりました。

これはどういうことかというと、例えば、自分の身体の動かし方で、

『お客様はこのように観ていただける』

という感覚が養うことが出来るようになりました。

しかしこれは、一方でパターン芝居とも呼ばれて、毎回毎回そういう感じでやってて新鮮さがないというご批判も受けたことがありました。

しかしながら私の演技の基本的な考え方である

役の人物を介して自分を表現する

という概念がどうしても私の中にあるものですから、リアリティを追究すればするほど、

リアリティはあるけども普段通りに生きてて目新しいものがない

ようで、もう少し自分とは違った違う一面で芝居を研究してみては如何かという先輩方からのご指摘も以前は受けました。

つまり、芝居の展開をいつも自分のやりやすいパターンでしているから、何回もお芝居を観ているとしっかりと成立した作品にはなってはいるが、もっとチャレンジしても良いのではと、段々と物足りなく感じたということですね。

これがなかなか私には難しく、そこが不器用な俳優といわれた所以です。

しかしながら、私の求めている演技は変な言い方ですが「お茶を飲んでいる芝居」なら「緑茶を飲んでいる」と思っていただけるくらいの気概で勝負してましたので、限りなくリアリティを追究すると、どうしても自分という影が付きまとってくるのです。

話は少し難しくなりましたが…(笑) 毎度すみません(汗)

カッコイイから二枚目の役をする

という固定観念があれば、私に二枚目の役は来なかったと思います。

私のような普通の人でも二枚目の役は出来る

と考えることが出来たから、出来たのだと思います(笑)

どうせ、大きい舞台なんだから顔なんてちっさくて見えない(笑)

そういう半ば、ひねくれ根性があったのがかえってよかったのかもしれません(笑)

そういう芝居をしていくと、

「さいとうくん、メイク上手になったね。まともに見えるよ」

とか言ってもらえるようになるんです(笑)

まぁ、冷静に聞けばみじめなのですけどね(笑)

ありがとうございます‼

ってその時は喜んでましたよ(笑)

人からカッコいいって言われ慣れていない人は、カッコイイといわれるとやっぱり嬉しいもんなんだな~って(笑)

本当に恥ずかしいくらい単純な人でしたね(笑)

芝居始めて5年くらい経った時くらいでしたか……

私の先生が私の化粧前の隣に座って

「さいとう、お前、指先に神経行ってるか?」

と聞くのですね。そして私の手を持ち、

「この指輪がな、この角度に来たら前から見た時に光るとかそういう意識持たなあかんぞ‼」

そう言って次に大きな声で、

「おーい!○○君‼ワシの指輪持ってきてくれ‼」

といって、先輩が先生の指輪もってきてくださいました。先生はその指輪を全部私に渡して、

『これ、お前に全部やるから、この指輪で研究しろ。今日は分かれへんやろから、全部の指にはめとけ。どれかは光るやろ』

と本番前の出来ことですが、こういうことがありました。

他にも、私の舞台上の動きのダメ出しで、

「この時はな、右足から行くんや。ええか。左に行くから言うて、左からいったら動きが小さくなるんや。気持ち悪いかもしれんけど、右足から右にいっぺん振っといてやな、それから左に行くんや。気持ち悪いかもしれんけど、舞台は気持ち悪いが丁度良いやぞ、分かったか。」

こういうレクチャーを来る日も来る日の小出しで教えて下さるんです。

一度先輩から『言われたことは、しっかりやりなさい。何回やってると思ってるのよ‼』とお叱りを受けたことがありましたが、その時、私の先生は、

『いや、こいつはいっぱいいっぱいや。ほっといたってくれ。今言うても無理や。いっぺんに出来ることは教えてない』

すると、先輩が私に『あなた本当に精一杯なの!?』と聞かれたから、「出来たらやりますよ‼」と感情のまま答えてしまって、さらに先輩から雷を落とされたというおバカなこともありました(笑)

という様に、演技には誰がやってもそう見えるという技があるということを教わり、

その技を習得すれば、誰でも出来るんだということが段々とわかるようになったのです。

しかしこの技は、何回も反復練習が必要で、しかも難しいのは、

人によって動きは違う

ということがあるのです。

これは感覚の問題で、感覚が分かっている人に稽古をつけてもらわないと合っているのかどうかが分からないのです。

ですので、根気強く教わった動きを反復練習して、

「それだ!その感覚を覚えておけ!」

となってから、家に帰って自分でまた反復練習して稽古で出た感覚を確かめるという作業がいるのです。

そうすると、やがて身体動作から感情が誘発されるという、毎度お伝えしていることがあらわれて、自分の演技へと確立させてもらうのです。

これは他力が働いている奇跡的なことだと思っています。

この働きを得た演技が「伝わる演技」となり皆様の前でご披露することとなるのです。

この流れがお分かりいただけたら、きっとこう思うはずです。

俳優の素質は誰にでもある

要は、やる方向に自分が考えられるかどうかの問題だけだと

人間やろうと思えば、出来るものです。

自分を奇麗に魅せる方法を身につければ、いつの間にか、そこに近づくことになるとを多くの方々に知って頂きたい。

演技は、自分を思う通りに見せる技術だということを早いうちから知れば、きっと注目される俳優になるでしょう。

その動き方は、あまりに自然で普通の人から見れば絶対に分からない技術であります。だから、それが技術なのだということが分からなければ、絶対に習得できない、凄い演技術なのです。その使い手が増えればきっと演劇の世界ももっと魅力的な人が増えるのではないかなと期待を込めて今取り組んでおります。

学校では教えられない実践の技術です。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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