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今回は私さいとうのここ数年のことをお話しさせていただきます。ここ数年でたくさんの方々と活動をすることが出来るようになりましたが、実は、私の元を去られる方も多くおられるんです。これは私にとって、とても残念なことで、大昔の私であれば、何とか引き止める方向で、動いていたかと思うのです。

ですが、今はこの表題の通りで「追いかけない」ようにしています。理由はとてもシンプルで、今いる人を大切にするということ。それと今いる人のために自分の力を使うということ。この二つです。

今回は少しネガティブ視点からの話ですが、最後までご覧いただき、共感いただけましたら幸いです。

私は、大勢の人と知り合いたいという気持ちもありますが、100万人と知り合うことは事実上難しいので、とっても濃い100人と知り合えたらと思っているのです。私の元を離れる人は、その方にとっても、私はさして重要ではなかっただろうから、そのような方と共にいてもこちらのエフィカシーが下がるだけなのだと気がついてしまったのですね。

自分が大切にしたい人は私を信じてお付き合いして下さる方。こうしたシンプルな考え方でいきたいのです。ですから離れた人に何かを思うということはないのです。この歳になって、また団体の長をすることになって、友達のような付き合い方ってもう出来なくなっているんだなって感じます。一方を立てるともう一方が立たない。勿論、仲良くしてほしいと思いますが、人間関係は複雑なのかもしれません。私は、大したことではないと思っても、その方その方によって、人間関係における考え方は違いますので、それは仕方がありません。

私は、聖徳太子の「和を以って貴しとなす」ということを大切にしており、まず「和」こそが何より必要だと考えています。「和」という言葉は、お料理で「和える」という意味でも使われます。この意味合いは、一緒にいてもお互いの素材を引き立てるという意味合いがあるのです。これは個々を大切にした素材を引き立てる考え方なのだと思います。またお料理には「混ぜる」という言葉もありますが、これは、素材が絡み合って変化したもの。凌駕するとまでは言いませんが、その素材自体の味を消し合うということもあるということです。今の日本でも同じことが起きてますよね。

「和」を持つということは、自分が自立した存在で、しかも相手を尊重できる心が必要です。相手がどうだからといって、自分の選択が変わるようなことがあってはならないのです。それよりも相手との折衝できる点を探すことが神髄で、この行動は、自分の強さがなければ、決してできないものなのです。相手の強さに押されて、自分らしくなれないという弱さがあると折衝は出来ないのです。

相手との関係は辛い。けれども、相手も、自分といて辛いはず。そこで相手も自分に折れてくれているのだから、私も折れて、そこからこの関係の活路を見いだそうとしなければ、組織の成長はありません。

つまり自分の成長するチャンスと組織の成長するチャンスの両方を逃すことになるのです。礼節ですね。相手がいることで自分の実力が分かる。それだけで本当は感謝なのです。

自分がいつまでも弱い立場だと、お相手はバランスを取るために強く出るのは世の常。その状態が嫌ならば、自分が強くなるしかない。しかし、今の世の中は、そういうことをトレーニングする機会を見失っているようにも思います。自分の目の前に厳しい人が現れたら、その方を観音様だと思って接することが本当の成長の道なのではないでしょうか。

私は成長することによって、厳しい人が段々と親切な人に変わっていく経験を何度もしてきました。この人がいたから成長できたと思える人ばかりです。今では、過去を愛おしく懐かしみ、今を寂しく感じる時すらあるくらいです。逃げるなとは言いませんが、その先の人間関係の可能性を消してやしないか、自問自答をする自分の視点は持っておきたい。

人間関係は自分が強くなることで自然と解消するのだから。

だから、私の組織では一人ひとりが強くなるような環境を作りたい。何回失敗しても大丈夫。強くなることで仕合わせを掴んで欲しい。だから追わないと決めたのです。