
演技を身につける心構えの話になります。
というよりも、これは物事をスムーズに覚えることにも繋がる話かと思いますので、参考にしていただければと思います。
演技には様々な種類があります。
またとても奥深いものなので、こういった技術修得は生涯学習的な要素が多分にあります。
ですから、出来るだけ早く身につけることをお薦めしたいのですが、ただ、早い時期からその演技を教わる環境に身を置いたとしても、なかなか成果が上がらないということもあるでしょう。
今回のお話はそこのお話になります。
つまり折角色々と演技術を教わっているのに、なぜその成果が得られないのかという話です。
その答えは簡単に言いますと、自分の中にその技術をたくさんはいる器がないということです。
器が小さいと少ししか入らないということ。
ですので、演技を修得したいのであれば、まず自分の器を大きくする必要があるのです。
ではどうすれば、演技術を収納できる器を大きくするのかということですが、それはどうすれば良いのか、お分かりになられますでしょうか?
私が思うにですが、この器を大きくするにはこれしかないように思うのです。
それは、
演劇というものがどれだけ崇高で偉大なものかと感じられるか
これにかかってくるものだと思っているのです。
演劇にはこれだけ素晴らしいエネルギーが生まれるんだ。または、これだけ社会を動かせる力があるんだと自覚することだと思います。
自分の中で如何に凄いことを成し遂げているのかということを理解すれば、この器は必ず大きくなるのです。
そうすると、演技の一つひとつが、素晴らしい技術だということに気がつき、どうしても身につけたい技になるはずなのです。
とても価値のある素晴らしい技だと感じれば、演技追究は自然の行動となります。
演技を覚えたいという欲に代わるのです。
ですが、今している演劇が実はそうでもないとなった場合、演技の習得は義務になるのです。
つまりこういう表現をしなければならないというものになるのです。
ですから演劇が何故素晴らしいかを教えられるところで学んだ方が演技修得はスムーズになるという話です。
私が演劇の歴史、心理学、量子力学の話を交えて演劇を話す理由はそこにあります。
その奥には常に
私たちは物凄いことをしているんだぞ!
という裏のメッセージも込めているのです。
こうして俳優の仕事は実はもの凄いことをしてるんだということを自覚してもらうのです。
これが俳優になるための大きな器作りの話です。
こういうちょっとしたことなのですが、それで自分の演技に対しての取り組み方は大きく変わるのです。
それに、演技の一つ一つを見るととても細かく繊細ですので、最初の頃はそういう細かな演技に重要性を感じることはかなり困難だったりします。
こんな細かな演技をしてどうなるの?
というものです。
ですが、段々と経験を重ねると、その細かな一つひとつの演技の重要性が見えてくるのです。
この重要性が見えた時に、大抵思うことは、もっと時間をかけてじっくりと細かな演技を修得するべきだったというような後悔も出てくるほどなのです。
何故この後悔が出てくるのかというと、このことにもっと早く気がついていたならば、今まで出演してきた自分の役にもっと深みが出せただろうに、または、技術をもっと早くに身につけることが出来たならば、もっと良い作品に成れただろうという過去に対しての欲が出てくるのです。
勿論、毎回自分ではベストで日々公演に立ち向かっているのですが、こういった考え方ですと、常に満足せずに日々進化できる取り組み方にシフトできるんですね。
しかし、こういう考えになると次からの演技練習は苦行には不思議とならないんですね。
むしろ、追究しなければ気持ち悪いレベルにまでなるのです。
ですから、日々の細かな演技練習に身が入るのですね。
ベテランになればなるほどそうなるものです。
それは、演劇を始めた頃よりも明らかに演劇の価値があるからに他なりません。
自分における成功の種があるとするならば、それは常に自分の目の向けたくないところにあるもの。
その目の向けたくないところというのは、一見何の価値もないようなものばかりなのです。
その価値のないものに時間を費やすことは、遠回りのように感じるかもしれない。
ですが、その一つ一つを嫌がらずにコツコツすることが、自分のステージを変えていく方法なのです。
器が大きければ、そのコツコツ積み重ねる一つひとつのことに意味を見出せるんですね。
ですので、努力でも何でもなく、頑張ることなく出来るのです。
これは嫌なことでも我慢して頑張れという話ではないのです。
自分の器の大きさによって、何でもスムーズに入れることが出来ますよという話なのです。
関係ないと自分では思っていても、実は大いに関係していたと気がつくことは人生を多く経験していけば、普通によくあること。
ですから、自分は無知であるという観点から、全てにおいて学ぶ必要があるのです。
この観点がなければ、存在すらない知識となるので学びようもないのです。
演技は存在すらない学びようのない技術になりがちなので、そこをまず認識したいところだと変な話ですがそのように私は思います。

さいとうつかさ
劇団ブルア 代表
劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。さらに、自身のBlog『さいとうつかさの演技力会話力Blog』は1000万PVを超え、多くの方々から支持を得ております。