2時間の内の20秒

お芝居の上演時間が大体2時間として、この20秒とは何を指すかというとお芝居の劇的部分、

を指しています。

お芝居はこの20秒の為に作られていると言って良いと私は思っています。

この20秒の為に色々な展開をつけて、よりお客様に楽しんでいただけるよう作り込んでいます。この20秒を魅せる為に後の1時間59分40秒をどう構成していくか……こうして全てに計算された中で作り手が動いているのです。そうして作品に込められた思いを一つにすることで、巨大なエネルギーを生み出していると言えます。巨大なエネルギーとは『他力』のこと。

私の話させていただく内容でよく出てくるこの他力とは

阿弥陀如来のお力

つまり神事的なことが起きるという感じでしょうか。良い作品には、いつもこの神事のようなことが起きるのですが、この他力が働くには、

念じることもいつしか当然のこととなり、黙々とただひたすらに正道を歩み続ける

ことが必要で、その他力が良いまとまりを起こすのです。つまり、一致団結した作品ほど神がかり的な作品になりやすく、このまとまりが、お客さんの心も包み込むような巨大な力が生まれるのです。

心理学者のユングの言う「集合的無意識」といったものでしょうか。人間すべての人の中にあるもの。それが共鳴し合うとでもいうか、なんとも不思議な力が働いている。

その不思議な力を肌で感じるのが演劇の醍醐味なのです。

この一致団結した作品。裏の話、つまり「作り手」からの話をすると、話が徐々に展開していくにつれて、キャストがスタッフが劇場の雰囲気を感じて大切に大切に進めていくようになるのですね。キャストは、

出番が終わった人は次の出番の人に『あとは任せた頼むぞ』

という思いでバトンを渡し、スタッフは

しっかり準備したよ『あとは良い芝居を頼んだぞ』

という気持ちで舞台のセッティングや効果をするのです。この作り手の気持ちが、表現者全ての心に伝わって、そこで主役が全てのバトンを受け取り

これだけの思いを引き継いだ『何としても良いパフォーマンスをしてお客様の期待に応える』

となっていくのです。これは、お客様の期待も感じ取れている、つまり劇場にいるすべての人が一つの作品を大事にしようというような団結力が生まれているのですね。ですので、この時、変に気負うこともありません。不思議と怖いくらいに冷静なのです。1秒がまるで1.5秒くらいに感じるほど、時間がゆっくりに思えて周りがじっくりと見えてくる。

ゾーンに入っている

のです。お客様の心情も汲み取れているので、自分が何をするべきかも分かっている。不思議な話、今からやろうとすることはもう過去のように感じるくらい

やる前から成功という確信が得られる瞬間がある

この瞬間をクライマックスに持っていくことが出来ると素晴らしい作品になるのです。あまりに不思議なことなので、信じていただけないかもしれません。しかし、こういうことを毎回起こすことは自分の力では到底できず、色々な働きが起こらなければ成し得ないことなのですがこの経験を数多く体験しました。

こういう経験を数多くすると、

芝居の神様はいる

と思えてくるようになるのです。

20年ほど前にソウルで行った国際フェスで当時所属していた劇団での出演作品が一位になったのも、私たちにとっては全く信じられない出来事です。あの作品を通じて、色んな方々とも交流が出来て、たくさんの友人とも出会い、その後もたくさんの素晴らしい経験をさせて頂きました。

異国の地の舞台に立つということは、演劇を始めた私では想像も出来なかったこと。

そんな摩訶不思議なことが現実に起きているのは、どう考えても自分の実力ではなく、他力(阿弥陀如来)の働きがあったのだと、私は信じています。

ですから、これからもその他力が働けば奇跡は起こるし、素晴らしい人や作品に出会えると信じています。それだけ、私の芝居人生は不思議なことだらけなのです。説明がつかないから神事というわけではなく、『そういうことだったんだろうな…』と後付けなのですが、奇跡が起きた時のことを振り返ります。そしていつも、振り返ってみると、

念じることもいつしか当然のこととなり、黙々とただひたすらに正道を歩み続ける

行動をしていたということなのです。嘘みたいなこと言ってますよね(笑) でも、バカバカしいと思わないで下さいね(笑) 本当なのですよ。

自分が特別だったからそういう経験をしたわけでは絶対にありません(笑)

どちらかというと芝居は下手の部類に属する方だと自分では思っています(笑) ただ、下手なりに自分はよくやったと人一倍労っています(笑) そうして自分を労い、自分の中にあらせられます「芝居の神様」の存在を感じていることがこの経験をさせて頂けたのだと確信しているのです。

この神さまは、皆さんの中にもあらせられていて、その存在を感じることで、他力の働きを得られるのではないかと考えております。

存在を感じるということは自分の中にあらせられます神さまを信じるということ

これが私たちがよく言う『自信』というものではないかと思うのです。だから、自信がないということは、自分の中に神さまがいないと言っているようなものかもしれませんよ(笑)

私たちは、出来ることで自信につながると考えている帰来がありますが、そういう条件付きで自信がつくと考えるのは果たしてどうなのでしょう。それよりも、自分の中にも神さまがあらせられると感じた方が、様々な奇跡を起こして、その奇跡が自分を高みにあげてくれると考えた方が寧ろ自然なような気がいたします。良い環境に身を置くことで、自分の成長を促すことが大事だと考えるのであれば、今いる自分の環境をどう見るかも大変重要です。今の環境が悪いからと考えて、環境を変えようとしているのであれば、それでは、いつまで経っても自分は成長しません。

何かを変えるのであれば、環境ではなく、考え方です。

今いる環境でも成長させる要素は沢山ある

それに気がついた方が良いのだと思うのです。だから、私たちは出来るだけ物事を良いように見る修行をして、一見悪いように見えているものでも良い風に見て、好機に変えることが、自分のなかにあらせられます神さまの存在をより近くに感じるのかもしれませんね。

今ある環境こそが自分を成長させるベストな環境である

そのように考えれば、一日一日自分のすることも見つけられるし、自分のやれたことを素直に労えるのだと思います。

では、ここからが本題ですが、他力が働くためには、正道を歩み続けると記しましたが、どうすればその正道を歩むことができるのかという具体的なお話を次のページでさせて頂きます。

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