舞台では自分を見ていただくためだけではなく、相手役を見ていただいて自分を表現してもらうための演技もあります。

例えば、自分が話している時に、相手役がどういう聞き方をしているのかを見ていただくというシーンを作るのです。自分ともう一人の二人で話をしているシーンがあるとします。その時、話をしている自分を見てもらうのではなく、自分が話をしている姿をどのようにして相手は自分を見ているのかという間接的な見せ方をすることがあるのです。なぜこんなことをするのか?それは・・・・・

人は直接的な表現よりも間接的な表現の方が想像を膨らませやすいから

です。自分が辛いことを抱えているシーンがあるとします。この時、自分が辛いことを吐露すれば観客は「辛いんだ…」と判断しますが、自分は辛いと話さず、その姿を第三者が見て「辛そうだな…」という眼差しを向けているのをお客さんに見てもらうのです。すると観客は「辛いのだけれども、堪えているんだな…」という風に感じていただける。この「堪えているんだろうな…」という思いが想像の部分で、辛いとは言ってないので「辛い思いを察していただいている」という感覚を持っていただきやすくなるのですね。「辛いんだ…」と思うのは情報を受け取るだけに過ぎませんが、「辛いのを堪えているんだな…」というのは情報を受け取って、思いを察してあげているというお客様のご厚意にまで発展しているのです。

そういうところに同情や共感が働き、空間を一体化させるエネルギーへと発展させていくのです

普段の会話でもそうだと思いますが、例えば、Aさんという人がいて、そのAさんが「俺はとっても凄い偉いんだぞ‼」とあなたに話をしたとします。その時、あなたはたぶん……「そうですか…」ってなりますよね(笑)… 自慢かよ!って…聞いてられないかもしれないですよね(笑) 

でも、違うもう一人がいて、その人がAさんのことをとてもリスペクトしてて、あなたに「この人、実は結構凄い人なんですよ」って言われると……もしかしたら、畏敬の念が出てくるかもしれないのですよ(笑) その時に、そのAさんがとっても心象よくニコニコしてあなたに接していたら「こういう仏様みたいな顔をしてる人は、どこか凄みを感じるな…」と思うのかもしれないのですよ(笑)

そのように、色々とAさんに対して想いを馳せるようになるので、興味のある対象にもなりやすいのですね。こういう間接的な表現方法で印象を持っていただくという演技方法もあるのです。自分を見てもらってなくても、周りの人から自分という人間を表現してもらえるという演技の一例。これは普段でも、是非意識すれば、徳のある人になれると思います。

人にしてあげたことは何にも言わない。人からしてもらったことは沢山に言う

こんな、清水の次郎長親分のような徳のある方になりたいですね。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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