感情は出すものではなく湧き上がるもの

例えば、普段生活している中で、怒りたいから怒っている人を見たことがありますでしょうか。

・・・・・いませんよね(笑) 怒っている張本人も怒りたくて怒ってる訳ではないということだとは思います。じゃぁ、怒らなければいいのに…って思いますよね(笑) でも怒ってしまうんですよ。どうしても(笑)

と色々怒ってしまう原因はあるかと思いますが、共通するのは、何かが起こったから怒っているのですね。ダジャレですみません(笑)

これをもう少し細かく説明すると、

何かの事象に対して自分がどう感じたかによって怒りの感情が現れる

ということなのです。つまり、怒りの対象が必ずあって、それは人それぞれ違うものなのですね。

例えば、相手の言動で、腹を立てる人もいれば、そうでない人も当然います。それに、自分の余裕がある時やそうでない時でも、腹を立てる立てないは変わります。つまり、怒りというのは自分の感じ方によって変化するものなのです。

これはどういうことが言いたいのかというと、

でもあるわけです。ですので、そう言った役の人物のバックグラウンドが垣間見れるように、怒りの表現一つをとっても、とてもこだわりたいところなのです。感情の表現はそう考えると、どれ一つとっても意味の深い表現が求められるのですね。しかし、この大切な表現を少し違った形で表現されている人が本当に大勢おられます。ですので、次のことを少しでも多くの方に知って頂きたい。

感情は出すものではなく、湧き上がってくるもの

この湧き上がる表現が出来ないと感情は表せないのです。

日本の多くの俳優が「泣く芝居を泣こうとしている」「怒る芝居を怒ろうとしている」「喜びの芝居を喜ぼうとしている」

全部自分でコントロールしようとしているのです。でもそれは間違いです。

のです。つまり、感情を出そうとする演技は不自然な動きとなるので、到底観客に受け入れられるものではないのです。ここの理論は分かると思いますが、ではどうすれば感情を誘発させることができるのか? それは…

身体動作から感情を誘発させるということをすれば出来るようになる

ということです。まず、感情の起こる動作の説明を致します。これは普段の感情の湧き上がる時を注意深く観察すればよく分かるのですが、感情を起こす前は必ず、大小の驚きがあります。心が反応するということです。そして人間は驚くと、みんな同じ共通の動作をしているのです。それは、

驚いた時は誰もが『息を吸っている』ということ

です。鼻からでも口からでも度合いによって変わります。心臓が飛び出るほどの驚きがあるのであれば、口から思いっきり吸うことになりますし、ある程度想定内の驚きであるならば鼻で少しだけ吸うということもあるでしょう。

息を吸うということは、次に備えるという意味合いがあって、大きな驚きの場合に息を急に吸うということは、緊急度が上がるので出来るだけ早く息を吸って状態を整えるという感覚があるのです。鼻から吸うよりも口から吸った方が早く肺に息が入りますので、緊急度を上げている表現に繋がります。つまり、口から吸った方がより驚いた感覚なのです。

この感覚が分かれば、息をどのようにするかが分かってくると思います。この息が実は全ての感情のスイッチになっているのです。

そうすると、本当に怒りの感情が湧き起るような感覚に練習を繰り返せば成っていきます。

そうすると、本当に喜びの感情が湧き起るような感覚が繰り返し練習すると生まれてきます。これが出来るようになると、次に少しの息でも誘発される感覚を養っていきましょう。

このように、普段から感情を湧き上がった時に、意識して「こういう時にこういう息の吸い方をしてるな」と観察し、それを模倣すればその時の感覚がまるで蘇ったかのような感情が湧き起こすことも可能になるのです。

これは今、息だけで説明しましたが、他にも目の動き、身体の向き、手足の動作全てに感情のスイッチがあるのですよ。こうして感情を誘発させることが、自然な演技として、観ている人に無意識に伝わり、やがて共感いただけるようになるのです。変な言い方ですけど、仮に相手の台詞のここで感情を誘発させるスイッチを押すという段取りで、そのセリフ切欠が来た時にびっくりしてその感情に沿った息の仕方をすると、

そういう感情になっていなくても、観ている側はそう見える

ということもポイントなのです。つまり、感情を誘発させる動作をするだけでも、お客さんには意図通りの感情表現が無意識に伝わってしまうのです。それだけ私たちは言葉の奥にある動きを見て、相手の動機を無意識に伺っているという証拠なのですね。身体動作には、無意識に相手に伝わる動作というのが本当にたくさんあるのです。

この技術が演技なのです。感情を出そうとしている表現は演技ではありません。それは技でもなくただ単に演じているだけに過ぎません。演じるだけでは嘘になります。演技をまやかしであったり、嘘の表現と例える人が多いのですが、演技というものは本来そういうものではありません。それが、実際に演劇をおやりになられている人の中でも分かっておられない方がいるのも事実で、それはとても残念なことであります。

とても偉そうなことを申し上げて大変恐縮ではありますが、俳優という職業は誰にでもできるものではなく、やはり日ごろからの鍛錬からの演技術を習得している技術者でなければ務まりません。

もしそのような技術者でない人が舞台に立つ機会が増えれば、世の中は演劇からさらに距離を置くことになるでしょう。俳優は崇高な仕事だと私たち俳優自身が認識しなければ、その崇高なところに到達する術は他にはありません。崇高な職業だと思えるからこそ、高みを目指したくなるものです。

ですから未だ拙い私ではありますが、また少し先に経験しただけのことではありますが、その経験談を交えて、演技とは自分の心にも相手の心にもしっかりと届く素晴らしいツールだということを希望の星である次の世代の方々に少しずつお伝えして参りたいと思っております。

演技をすることで本当の自分と出会う感覚

舞台でお客様と向き合っている時に、同じ心になると劇場全体が一体化される。心理学者ユングの唱える私たちの中にある集合的無意識にリンクできたかのような感覚がここで味わえるように思えるのです。演劇は人間の奥底にある感情を引き出し、共感するものではないかと思います。

そしてこの共感は、何にも代えられない素晴らしい感覚で『心の浄化』に繋がっていく。この『心の浄化』こそが私たちを幸せに導くもので最高の生きる喜びに繋がっていく。そう私は信じております。

ですから、俳優もそういった偉大なことを成し遂げている仕事だと確信しています。私たち俳優がもっと自分たちのことを誇りに思って活動できれば、今の演劇界は段々と元気になってくるのだと。

劇団道化座に13年間所属し、日本各地、海外公演に数多く出演。道化座退団後はフリーで演出・俳優活動を行う。「社会に寄り添う演劇」を掲げ、2019年に劇団ブルアを設立。同劇団代表を務める。現在の演劇活動として、演出業、俳優業だけではなく、関西各地で演劇のワークショップで演技指導も行う。出演回数は400ステージを超え、実践的な演技指導が持ち味。またスタニスラフスキーシステムを独自にアレンジしたブルアメゾッドを作り、「身体動作から感情を誘発させる」演技術を展開し、リアリティーのある演技を追究。「役の人物を介して自分を表現する」「自己探求」などを念頭に演技向上を図り、ありのままの魅力的な自分で勝負する独特の演技コンセプトが好評を得ております。

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