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2026年4月から始まった第3期俳優養成講座は、只今一つの台本を使って読みの練習をしております。一ヶ月目は演劇の歴史や演技概要、舞台機構などの知識をお教えする座学。二ヶ月目の実践の基礎練習。そして三ヶ月目からいよいよ実践練習に入りました。只今は8名の方が参加して練習をしております。先日の稽古では参加者の多くが実践の演技修得に実感が湧き、手ごたえをお感じになられたのではないかと思われます。それだけ、とても感動的な実践練習で、講座教室全体がとても素敵な空間になっておりました。

勿論、これは参加者全員のポテンシャルの高さによるもので、見学者の涙を誘うパフォーマンスは過去の講座にはなかったので、とても質のある練習ではないでしょうか。

こうした練習の段階で、涙を誘う迫真の演技を出力できるということは、しっかりと演技を学ばれてるということでもありますので、今後も期待が膨らみます。

演技は表現する技術ではありません。人の心を動かす技術です。その人の心を動かすという観点からもしっかりと学ばれていると言えます。

このパフォーマンスは私たち劇団ブルアの取組みが実を結んでいるということも言えますので、講座を見守る劇団員にとってもとても刺激的な講座となったのではないかと思います。

私さいとうつかさ自身も先日の講座で、今の活動を続けていれば、私たちの環境は変わると確信しました。

理想の環境になるのはまだもう少し時間はかかるかもしれませんが、劇団員も徐々に増えて、着々と理想に向けて進んでいるように感じます。

それは演技というのが確立されていないということでした。演劇人であっても、何をもって演技だと分かってらした方はあまりに少ないような気がした。

以前の所属劇団を辞めた30代半ばは、客演や演出だけではなく、演技指導で色んな劇団に雇われて指導に行きました。ですが、年齢が30代というだけで、指導を真摯に受け入れてはくれない現場も本当に多かったです。当時の私は年齢は若くても現場経験数は演者の皆様の何十倍もあったのですが、そこは見てもらえませんでした。

しかも、あまりに違う演技論での指導でもあったので、それを行うことは当時、相当難しかったのです。それだけ指導以外のところで戦っていたこともありました。その当時も一般の演技論というものは、こう表現すればこう見えるという表現技術だと思ってらした役者が多かったです。

ですので、今、私がお教えしている演技というものは「人の心を動かす技術」はあまりにバカバカしいものだと認識されてたように感じます。

私は、幸いにして、以前の所属劇団でのお師匠さんとの出会いでそこに気がつくことが出来たように思います。それは、とある一つの所作をお教えいただいている時に、何気なく言われたお師匠さんの一言に気がつかされたのがキッカケでした。それは、

ワシがこうやったらそう見えるけど、お前が同じようにやってもそう見えるとは限らんのやぞ

というお言葉。これは演技というのは形ではないということを明確に示した指導でした。

私たちは、安心を求めるために、何か型にはめようとする帰来がありますが、それではいけないというお言葉だったのです。

このことに対しての答えは直接お教えいただいてはいないのですが、実践の中で、この答えが分かったようなある出来事があったのです。それは、体調不良で臨んだ公演の時に、照明の先生から「今日のさいとうくんは、力が抜けてて良かったよ。やっと自分の型が出来たね」と言われたのです。

当時の私は自分の所作がこれで良いのかが分からないので、いつも出演前に鏡で動作のチェックをしてたのですが、その日は舞台に辿り着くのも大変な状況でしたので、入念なチェックはしなかったのです。今までやってきたことをすれば良い。自分のベストをと言い聞かせ、舞台に上がった。その芝居がとても良かったということ。これこそまさに怪我の功名。勿論その時は分からなかったのですが、不思議なことに、以降の公演で、所作の動作を鏡で見ると明らかに違う自分が写っていたのです。

この時に、初めて型にこだわっていた自分に気がついたのです。お師匠さんの所作にこだわりすぎていて、自分に合ってなかっただけなんだと。つまり、人間には色んな体格や骨格があり、それに合わせた自然な動きが一番なのに、それを度外視して、型にはめようとしていた自分に原因があったのだと。

これがキッカケで、様々なことが変化しだしました。教わった所作だけではなく、演技についても考え方が変わったのです。

今までは、役の人物になろうと考えていましたが、それを止めました。そして、「役の人物を介して自分を表現する」という考え方にシフトしたのです。役の人物であっても表現するのはあくまでも自分自身。自分自身だからそこに嘘はないという考え方です。ですがこれは、役の人物を自分に寄せて演じるという訳ではありません。

役の人物の抽象度を上げて、役の人物と自分との共通点をたくさん探すことに注力

したのです。簡単に言えば、役の人物は人間であり、私も人間という極めて高い抽象度から物事を考え、そこから段々と具体的に落とし込んでいくというスタイルに変えていったのです。この束論から得た考えから、実は台本の読み方も変えていったのです。

今までは、台本の中に全て演技の答えがあると信じて、台本を読み込んでいました。つまり読解力で見つけようとしていたのです。

ですが、この束論を駆使して演技の答えを考えるようになると、台本の答えと自分の心の中にある答えと結びつける必要がでてくるのです。つまり役の人物と自分の共通点を探す旅が始まるのです。

そうすると、台本から得た情報は、自分の想像力を駆り立てる材料となり、自分が演じるならこういう展開でお客様にお見せしたいなという欲が生まれる。このアイデアは、台本にはない自分の心の中のアイデアなのです。

それが、私の今の指導の一つ「演技の答えは台本にはない」という指導法になったのです。

台本に演技の答えがあると考えると、字面に捕らわれます。しかしこの結果は何をもたらすかというと、辻褄を合わせるだけのつまらない説明的な演技になるだけなのです。こんな演技を見て、誰が楽しめるのでしょうか。ただ単に物語を説明しているだけの演技ですよ。それだったら、台本読んでいる方が余程面白い……私自身は若い時にそう思ったのです。

自分がこうしてみたいとかそうしたら面白いだろうなというアイデアは、勿論、台本には書かれていません。ですので、それを周りの人に納得させるのは実はもの凄く骨の折れる行動でした。何故なら周りの人の多くの反応は決まって、台本に書いていないから、そのアイデアはストーリー展開が無茶苦茶にならないかという懸念が多くの共演者にあったからです。そこで辻褄を合わせ、誰もが納得できる演技プランを作る方法を編み出しました。それが、今の俳優養成講座でもお教えしている演技プランの立て方なのです。

私は演劇を始めて間もない頃は、台本は読解力だと教え込まされて、それで沢山の戯曲を読むようにと教わりました。しかし今では、台本は読解力で読み解いてはいけないと明確に否定しています。何故なら、台本から答えを探そうとすると誰もが同じ答えを導くことになるからです。つまり、台本を理解するための辻褄を合わせるだけのものにしてしまうからです。これが多くの演劇をダメにしているのです。誰がやってもそう演じる。誰が見てもそうやる。そんな演劇を観さされて、何が面白いのでしょうか。

台本を読むには三要素を用いてその人にしかできない演技プランを組み立てる技術を作り出したのです。この演技プランが俳優として、または演出として私自身が多くの現場で証明できた技術の一つでもあります。この三要素をしっかりと踏まえ台本を読むと、より魅力的な演技プランが確立できるのです。これがプロの技術です。

こういったプロセスを踏んで、改良に改良を重ね、今の俳優養成講座でお教えいしている内容となっています。

最初は誰にも理解されなかった演技法だったのです。それがここ数年で形を成してきだした。

第一回も第二回の卒業生も、今では素晴らしい俳優になって、注目されるようになってきました。

観たい俳優、女優に成長しています。私はそういう方々を育てたかった。だから、今の講座生の方々の真剣なお姿は私にとってとても輝かしいのです。

いつか遠い日に思い描いた理想が実現できる日が近づいてきているように感じます。私の演劇仲間は30代からは一新。だから今のメンバーは私がどういう風に演劇活動をしてきたのかは知りません。

それは、今まで私がやってきたことがどれほど周りから受け入れられなかったかという理由でもあります。

ならば、自分で作るしかない。そう思って今年で11年がたちました。道半ばではございますが、これからも信じてついてきてくださる方へ全身全霊でお教えいたします。